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ぼくの旅路 #3


【 はじめての海外一人旅: LONDON 編】

当時のわたし:20歳/大学生 in TOKYO


 
 はじめて訪れた、ロンドンの地、冬の時。どんよりとした空だった、それが、未知の土地への、第一印象だ。しかし、そんなどんより雲の空の下には、まばゆいばかりに光り輝く日々が待っていた。見るもの、聞くこと、手に触れるもの、すべてが新しい日々は、瞬間、瞬間に細胞が沸き立つことの連続だった。日常のちょっとした会話でも、英語を使って用が足せたことに、喜びと、満足感を覚えた。そんな瞬間、瞬間の連続だった。そう、日本の日々では、常に満たされない思いがあったのに、こんな日常のちょっとしたことで満たされる自分が、この異国の地にあったのだ。



 
 語学学校初日、クラス分けテスト。

 結果は、一番下のクラス・・・。「一応、日本で中・高・大学と何年間も英語の勉強をしてきたのに、これか・・・」と、自身に情けなく思う。しかし、まったく英語が聞き取れないのは、認めるところ、しょうがない・・・。
 
 同じ教室には、さまざまな国籍、異なる肌の色、多種多様な衣服、におい(ぼくは、外国に行くと、まさに、「におい」に異文化の香りを感じます)の人びとが、老若男女問わず同じクラスメートとして机を並べていました。机は、日本の学校のようにちゃんとした机ではなく、飛行機の座席のような簡単な収納テーブルがついた椅子が、教室に並べてあるだけでした。しかも、並べ方は、これまた日本のように縦横そろって並べるのではなく、まるく円になって並べてありました。こんな違いを目にするたびに、ワクワクしたのです。
 
 授業はもちろん、すべて英語です。もちろんのこと、はじめのころは、とても緊張しました。そう、緊張です! まさに、よい意味での緊張感が、常にあったのです。あぁ、自堕落な日本の大学生活の日々との何たる違いよ。新たな環境に順応していくための、外的ストレスから来る緊張感によって、ぼくの内に眠っていた細胞たちがふつふつと沸き立ち、目覚めはじめました。目にすること、耳にすること、手触り、におい、味。瞬間、瞬間に、細胞が振動し、その情報を見過ごさずに受け取り、学んでいったのです。「自堕落な」と書きましたが、それは細胞が閉じてしまっていて、振動すること、そう、こころが震えること、つまりは、感動ができないくらいに凝り固まった状態にあったのではないでしょうか。その「凝り」とは、どこから来ていたのでしょうか。馴れすぎた環境か、社会の固定観念に捕われた価値観や、思考パターンからなのか・・・。

 ロンドンでの日々、英語はまさに、自分の世界を広げていってくれる新しいツールだったのです。日に日に英語が上達していくにつれて、クラスメートたちとも、だんだんと話せるようになってきました。お話するたびに、彼ら一人一人が内包している世界に触れることが出来たのです。それは、彼らの生まれ育った異国の土地の物語であったり、さまざまな職業の経験だったり、はたまた、異なる年代の人びと価値観に触れることだったり。その言葉たちの中には、今までのぼくが知ることのなかった、物語に満ち溢れていたのです。あぁ、世界が再び、色彩を持って彩られていく気分でした。それは、日本のモノトーンに配色された日々とは、実に対照的だったのです。ぼくが日本の大学生という社会的身分で、毎日出会う人びとは、大多数はぼくと同じ社会的目線や同じようなバックグラウンドを持つ同級生の仲間たち。そして、同じような思考パターンの仲間たちとの会話。または、同じ枠組みの中にいる大人たち。それが、ぼくの単調なモノトーンに塗りつぶされた日本での日々でした。その単調さに埋没してしまっていた自分。そこから抜け出したいと、ただ、ただ、もがいていた自分。そんな自分が、ロンドンでの日々で、社会的身分のジャンルを超えた様々な人たちと、英語を使って話し、新しい価値観と出会って行ったのです。それは、知らず知らずに築きあげてきてしまった固定概念の骨組みが、一本、また一本と外されていくような感覚でした。まるで、整体でパキパキっと詰まっていた骨格を矯正していってもらっているような、快感さえありました。
 
 ぼくは、この、眼の前の世界がどんどんと開いていく感覚に、酔いしれました。そして、もっと、もっと、このあたらしい世界を知りたい、味わいたいと、願いました。その気持ちは、ぼくの、ロンドンでの2ヶ月の学びを、より熱心に、それはもう、大きな喜びと充実感をもったものにしたのです。この「充実感」というのも、日本の日々で大きく欠けていたものでした。大学の勉強を含め、なんだか毎日が、空気を掴むような、何を掴んだという実感をもてない、虚無な毎日だったのです。ロンドンでの英語を学ぶ日々は、もし今日なにかちゃんと英語で伝えきれなかったことがあったとしても、その日の晩、家に帰って辞書を開き、調べ、次の日にそれを試してみるのです。そして、それが相手に通じたときには、喜びとともに確かな手応えがコツリと、手に握れるかのごとくに残るのでした。そう、手の内に握れるほどの小さな手応えでよいのです。その小さな確かな手応えを、一つ、また一つと積み上げていくことが、ぼくに充実感を与えてくれていたのです。
 
 英語の勉強は具体的にどうやっていたかというと、学校の勉強をしっかりやることはもちろんですが、といっても、日本の学校でのような「義務感」はゼロです。毎日、毎日、ワクワクと、クラスに遊びにいっているような気分でした。前述したように、日常でわからなかった単語や、伝えたくても伝えられなかったセンテンスがあれば、それをいつもポケットに携帯しているノートに日本語でメモしておいて、家に帰ったら辞書を開いて、ノートに記しました。日記も英語で書きました。そしたら、あれよ、あれよと、学校でのクラスは階段を駆け上がるかのように上がっていきました。先生も、その様子に、ずいぶんとびっくりとしていました。しまいには、夢も英語で見るようになりました。

 実は、この上達の具合には、カラクリがあって、やはり、日本の学校で何年間も英語を勉強してきただけあって、文法などの基本事項はおおむね、すでに知っていた訳です。ただ、日本では英語を聞いて話す機会がなかったのです。耳が英語に馴れていませんでした。英語で話すという度胸も培われていませんでしたし。しかし、いったん、英語に耳が馴れ出すと、絡まっていた紐があるところからスルスルとほどけ出すように、いっぺんに英語で話されていることが理解できるようになりました。そこに、細胞から沸き立つような「知りたい、伝えたい」という情熱は、話す度胸にもつながりましたし、そうして、学びのスピードがさらに助長されて行ったのです。なるほど、自発的に学ぶということは、こういうことか。学ぶということは、いかに楽しいことか。身を持って知ることが出来ました。いままで、日本で、いかに受け身で、消極的な学びをしていたことだろうか。
 
 さて、「英語を勉強してくる」という大名目の下に忍ばせてきた、本場ロンドンでのファッション、芸術、建築、音楽(クラブで踊りまくること!)、そしてサッカーの分野でも、これでもかと謳歌しました!
 
 
ロンドンでの華色の日々、続きます。

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