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ぼくの旅路 #21


【大学生活に戻り】


当時のわたし:20〜21歳 / 大学生 in TOKYO



 さあ、喜びすさんで日本へ帰国、大学生活の日常に戻ってきた春。授業の履修登録も済み、大学2年生の日課が構築されていく。新しい「メガネ」のおかげか大学の授業もやる気満々、さあ、どんとこい。ロンドンで短期間で英語をあれだけ学び、身につけた自信にみなぎっている。英語も、独自に学び続けよう。次なる目標の「旅に出る」ために。

「旅に出る、旅に出る、旅に出る」、頭の中ではこのことで頭がいっぱいだ。さあ、旅の情報はどこで手に入れようか。自宅から環八を横断したTUTAYAへ小走り、旅の映画タイトルに目を滑らせる。バイクの下校道、渋谷スペン坂・PARCO地下本屋、はたまた池袋ジュンク堂のガラス張りのエスカレータを上り、本を貪る。そんなこんなを経て辿り着いたのが、壁一枚向こう隣部屋の兄の本棚。こんな近くに良書がセレクトされて並んでいたとは、今まで気づかなかった!いや目にしていたが、気に留めていなかった、気に留まっていなかった。ここにも新しいメガネのおかげで目に見える景色に変化が。兄は3つ年上。ぼくの興味の2、3歩先の軌跡が兄の机の上の吊り棚の中に並んでいる。ここは素直に、兄の功績にあやかろう。手に取ったタイトルは「深夜特急」。見事なタイトルではないか。この単語の並びから、未知なる「旅」が連想される。本の中にはどんな旅の世界が広がっているのだろうか。お兄ちゃん、拝借させていただきます。

 ポケットに単行本を突っ込み、バイクにまたがり環七を南下し大学キャンパスを目指す。食堂でランチ、友人たちに旅の夢を語る。いや、これは夢ではない。近々実行される、実質的な計画である。授業が終わればバイクにまたがり、山手通り・明治通りを北上し池袋目指し、居酒屋で夕〜深夜バイト。旅の資金を稼がねば。本や映画の中の旅の世界に触れながら、練り上げられてきた旅の計画は一年。いつしか、「旅」という願望には「放浪旅」修飾語が付けられていた。夏休みや、春休みの数ヶ月ではアウトローの「放浪旅」には短すぎる(アウトローとの言葉は、この頃に読んだ別の旅の本・ロバート・ハリスの本からの影響か?)。大学を一年休学するのだ。深夜特急のごとく(影響されやすい!)にユーラシア大陸を横断する。旅の資金に100万円の貯金を目指す(10万円×10ヶ月:LONDONからの帰国の余韻とリサーチ期間を経て、夏近くからアルバイト始めましたから)。

 といった感じに、目標の旅へ向かって勢いよく駆け出していく、今にも羽ばたいていきたいみなぎる希望。しかし、しかし、それでもやっぱり、慣性の法則によって日常の憂鬱感に引き戻されていく、「どうしたことか」ともがく自分。その相反する二つの感覚にさいなまされていくのが、その後のぼくの大学生活数年間だったと思う。「旅」という非日常の意識が立ち上がってきたことで、日常と呼ぶもの、はたまた現実や社会と呼ばれるものの存在が際立って、可視化されてきた感覚。つまりは、ぼくの中で、常と思っていたこと・当たり前と思っていたことに「疑問」が入り込む空間が現れている。あのLONDONの新しい日々に感じた、伸び伸びとした自由な風。風が吹き抜けていった隙間、ぼくは日常からさらなる世界をその風穴の向こうに覗いている。


 


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