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ぼくの旅路 #24 :追記 1/14


【大学生活に戻り】

当時のわたし:20〜21歳 / 大学生 in TOKYO



  父と母は、パリの街角で出会った。どのような街角で、どのようなシチュエーションだったのだろうか? 初めて会ったとき、母は会話の中で「鯛が好き」と言ったらしい。次に二人が会った時、母は風邪を引いてアパートで寝込んでいた。父はパリの市で鯛を丸ごと一匹買い、出刃包丁のセットを鞄に入れ、母のアパートを訪ねた。そして、鯛料理のアラカルトをあれやこれや振る舞い、元気付けたという。「俺は料理ができるから、モテるよ」と言う、父の言葉を幾度か耳にしたことがる。そんな父の言葉を聞いて、子供ながらにも、冗談混じりにそんなことをニンマリと言う父の人柄も含め「その通りだ」と思ったものだ。父はとても料理が上手い。小さな頃から、そこらへんのレストランで食べるよりよっぽど美味しいと思っていた。ぼくと兄はそんな「父の味」で育った(母は忙しく、母の味をお皿の上で味わうことはごく稀であった)。ぼくが今こうして料理を得意としているのも、父のおかげだと思う。父から直接手取り足取り料理を習ったことはないのだが、小さな頃から食べていた父の味のおかげで『舌育』を十分に受けていたのだと思う。父が作ってくれた料理を思い返すと、洋食も和食も実にさまざまに作ってくれていた。洋食だけど和の味付けを用いていたり、逆に和食だけどなんだかオーソドックではない何か一味が加味されているような和食、と言ったような父ならではのセンスの料理だったのだと思う。きっと、パリに住んでいたこと、世界中を周る貨物船の厨房で働いていたこと、地方の格式ある家庭で生まれ育ったこと、そんな人生の経験が全て合わさっての味だったのだろう。誕生日や何か特別な日の夕食には、魚介類がたくさん入ったパエリアをよく作ってくれたものだ。父のおかげで「料理をする男性は格好いい」というイメージをずっと持っていた。このことも、ぼくがいま料理をしていることに大きく関係しているのだと思う。

 父と母はそのままパリで結婚し、兄が生まれた。Air Franceのスチュワーデスだった母の仕事柄、兄はお腹の中にいた時から、生まれた後も、世界中を一緒に飛び周ったようだ。表紙に「竜太郎(兄の名前)」と記された分厚い布地のアルバムを開くと、赤子のキョトンとした兄を抱えた二人の背景に世界中の様々な場所が写り込んでいる。その頃に集めた調度品だったのだろう、ぼくたち家族の家は様々な文化の家具やら小物やらでインテリアが整えられていた。兄が生まれてから数年して、もうひとつの命が母のお腹に宿った。3人は日本に帰ってくること決め、ぼくは、東京・練馬で生まれた(ぼくは、冗談半分に自分の出生を【 Made in Paris. Born in Nerima 】と語る)。「琢哉」と記されたアルバムを開くと、写真の背景はいつも同じ練馬区な景色なことに、兄への羨ましさを感じたものだ。しかし、そんなことよりも、兄のアルバムにはあれだけぎっしりと全ページに写真が綴じられているのに、ぼくのアルバムは初めのたったの数ページで終わってしまっている。なんとも言えぬガッカリとした気持ちを抱いていたものだが、母は、ぼくのそんな感情を「次男の宿命」とネーミングして上手に誤魔化していた。母は、ぼくが幼稚園に通い始めた頃からインテリアの勉強を始め、数年してインテリア・コーディネーターとして独立して働き始めた。スチュワーデスとして、世界中の文化・デザインに触れてきた母の経験とセンスが生かされた、母の新たな人生となる仕事だった。ぼくが大学で建築を専攻したのも、母の影響だ。ぼくは結局は建築家としての仕事にはつかなかったけど、空間創りが大好きだ。今、自分が暮らしの場で創り出している空間を見回してみると、やはり、小さな頃から母の多国籍なセンスで彩られた空間で育ってきた影響を感じる。

 小さい頃は、よく外国の人が家に遊びにきていた。子供のぼくは、見慣れぬ出立ち、立ち振る舞い、言葉、そして香り・匂いの客人に戸惑ったものだった。そんな人たちを家に迎えた時の母が、いつもと違ったトーンで英語を話すのに違和感を感じたものだが、もしかしたら、そこに自分の知らない母の姿を、自分の知らない母のそれまでの時間を、子供心ながらに感じていたのかもしれない。母はとても楽しそうにしていた。母は客人を迎えておもてなしするのが大好きだった。いつもより大勢の賑やかな食卓には、父が食材の仕入れから段取って作ってくれたご馳走が並んでいた。

そんな両親だったからだろう。ぼくが「大学を一年休んで旅をして周りたい」と伝えたときも、大きな理解を持って送り出してくれたのは。

こうして、両親から受けてきた影響を改めて書き出してみると、今の自分の姿の輪郭線がよりはっきりしてくるようだ。そして、今だからこその親への感謝が湧いてくる。


感謝!