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ぼくの旅路 #23


【大学生活に戻り】

当時のわたし:20〜21歳 / 大学生 in TOKYO


 さあ、アルバイトも決まり、大学を一年休学しての旅の計画を立てていく。今となっては、どのタイミングでこの思いを親に伝えたのかは思い出せない。しかし、特に反対された記憶もなく、どちらかというと「今のうちにいっぱい経験しておきなさい」と、ぼくの気持ちを後押ししてくれたような親の在り方だった。

 ぼくの両親は、二人とも若い頃は海外でたくさんの時間を過ごしたらしい。母親は、アメリカのLos Angelsの短大に通っていたという。さらにその前には、東京の実家から高校に通っていたのだが、国際交流を主とする移動学校なるもの(ぼくも、未だそれがどう言った形態の学校だったのか把握できていない)を見つけてきて、祖父母を説得して編入したと聞いている。母は当時から開拓心旺盛な人だったよだ。父は、宮城・仙台からしばらく行った山間部に生まれ育った。先祖代々の医者の家系だったようだ。数世代前は、佐々家は伊達家の御殿医だったと聞いている。父も医者を目指したらしいが、大学時代に違う道を行く事を決め、大学を中退して、貨物船の厨房の仕事を見つけ世界中を周った。船に乗ることにしたのは、「いつも投げ出してしまう自分が嫌だった。投げ出すことができない環境に身を置きたかった」と言っていた。その後、日本に帰って勤めた企業では、船上での経験をかわれ、フランス・パリ支所に派遣された。父と母は、パリの街角で出会った。母は、アメリカでの短大生活から日本へ帰国していたが、培った英語を生かしてAir Franceの就職試験に見事合格し、現地ベースのスチュワーデスとしてパリに滞在していたのだ。

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今日はまだ書き途中だけど時間が来たので、毎日の投稿を目指してここでUP。親のこと、特に自分が生まれる前の知らない親のことを書くのは、なんでしょうね、なんだかあたたかい涙が出てきますね。その涙は、どんな涙なのだろう。。。

感謝!