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馬日記・その12

2004年3月21日〜(25歳)
@ Rainbow Gathering in Costa Rica

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 残念なことに、ここら辺の当時の日記がしばらくない。
なので、記憶を辿って、書いてみよう。

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 街での一日を終え、乗合トラックの荷台に揺られ、山道を歩き、Rainbowへ戻ってくる。西日に照らされた人々のシルエットを見て、ホッとした気分となる。ここがすっかりHome、そしてFamilyに感じられる。辺りは暗くなり始め、フードサークルに人が集まり出した頃だった。

 次の日の朝、河原の岩の上で瞑想をしていたら、祖父の感覚が体の内側いっぱいに感じ、溢れ、涙がどっと出た。突然の涙に、自分でもびっくりした。こんなに泣くことができるのかと、思いのままに泣いた。泣く声が、周りに響いてしまわないかと、恥ずかしい気持ちも出てきたが、川のせせらぎの音が消し去っていてくれた。それでも、すぐ近くにテントを張っているヨヨが通りすがりに声をかけてくれた。ぼくの事情を知って、「これで元気になるよ」と言って、とっておきのチョコレートの一欠片を手渡してくれた。ヨヨが歩き去っていく後ろ姿を見送り、チョコをかじる。その甘さに、「はあっ、うん、しょうがない、よし!」と吹っ切れたような、晴れた気持ちとなった。そして、この朝一番にせせらぎの流れにのせて、お別れの涙を流せたことを祝った。昨晩からの重い気持ちが、随分と軽やかなものとなっていた。

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 それから、どのようにRainbowから日本に帰るまでの日々を過ごしていたのだろうかと、思い出そうとしている。記憶では、コスタリカから日本に戻る飛行機で、マイアミで乗り継ぎをした晩が、ちょどぼくの26歳の誕生日の4月19日だった。日記に記されている最後の日付が三月末だったことから計算すると、祖父の死を知ってから日本に帰るまで、数週間ほど時間があったようだ。 

 Rainbowが終わった後は、Horse Caravanの仲間たちは、そのままそのエリアに残り、馬を探すことにしていた。馬を探すならコスタリカの他のエリアよりも、ここら辺がベターとのことだ。買うための馬のスカウティングをしながら、同時に乗馬道具、調理具、キャンプ道具、などの旅の準備も並行して行い、そして馬が集まり次第、いざ、北に向かって出発という段取りだった。そして、今までは、数千人規模のRainbow Gatheringの仲間のうちの一人といった関係性から、25名ほどのCaravanのチームとしての意識で、お互いの関係性を創っていく時間でもあった。

 そんな日々の中、ぼくはグループから一度離れて、首都のサン・ホセへ日本行きの飛行機チケットを買いに行った。一ヶ月ほど前に泊まった同じ安宿に宿を取った。顔馴染みの宿のスタッフが「お帰り」と出迎えてくれた。日本からコスタリカに到着したばかりの頃は、慣れない土地にずいぶんと緊張したものだが、今はもうこの街の様子を把握しており、「一ヶ月前が懐かしいな」とのこの場所と人々への哀愁の想いも生まれている。そして、再会を楽しんでいる。このだんだんと、その土地に馴染んでいく感覚は、新たな旅の喜びであった。というのも、それまでの大学生時代の旅のスタイルは、いわゆるバックパッカーで、日々新しい目的地を目指す一直線の旅であったから。同じ場所に何度も引き返すことなど、あり得なかった。

 サン・ホセから日本行きのチケットは、日本で買うよりも随分と高かった。ぼくの現在の所持金では購入が難しく、日本の父に相談をした。「俺が払ってやるから、ちゃんと期日までに帰ってきなさい」との言葉に甘え、父にそのチケットの代金を払ってもらった。そして、サン・ホセ⇄成田間の往復チケットを買った。往復というのは、つまりは、ぼくはもちろんまたコスタリカへ帰ってくるつもりだった。ぼくの今の人生は旅にある。Horse Caravanにどうしても参加するのだ。

 首都サン・ホセでの日本行きの段取りが済む。出発までのまだ数日あるので、HorseCaravanの仲間達のところへ戻ることにした。馬を探す準備の段階からでも、少しでもCaravanが始まっていくプロセスに携わっていたかったのだ。サン・ホセの中央バスターミナルからBusに乗り、何本も乗り換え、丸一日かけて、ようやく皆へ合流することができた。

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 日本行きの飛行機は、マイアミでのトランジットが必要だった。次に乗る便は翌朝で、まだ日も高く時間を持て余すほどであったので、せっかくだからあの有名なマイアミのビーチを観に行って見ようと思った。空港に重いバックパックは預け、ディジュリドゥを担いでエアポートバスに乗ってビーチへ向かった。そこは、今まで写真で見たことがあった通りの白い砂浜と青い海だった。ビーチ沿いのレストランやバーはどこも華やかで、身なりのよい人たちで賑わっていた。なんだが自分が場違いに感じたこ。辺りが薄暗くなってきて、寂しい気持ちをヒリヒリを感じながら、海風を顔に感じて、ビーチ沿いの公園を歩いた。

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 公園の一角でディジュリドゥを吹いていると、多分ここら辺のホームレスの人たちなのか、先程までの人たちと違った雰囲気の人たちが数人周りに集まってきて、一緒に地べたにすわっ。演奏を止め、彼らといっときお話をした。「どこから来たんだ?」と聞かれ、「旅先で祖父が亡くなったことを知り、日本へ戻っている途中なんだ。せっかくの誕生日が、こんな誰も知らない飛行機の乗り換えのための一日になっちゃったよ」と告白したら、「それは、残念だったね。そして、誕生日おめでとう」と言ってくれた。先程までのリゾート地の雰囲気に自分の居場所を見つけられず寂しく思っていた気持ちも、地べたに座ったこのホームレス(?)の人たちとの交流で、ずいぶんとあたたかな気持ちとなっていた。

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 そして、別れを告げ、バス停まで行く。真っ暗の中、待てども待てども、バスが来なく、どぎまぎとした。けど、ようやくバスが来て、バスに乗り込み、ホッとして座席に沈み込んだ。空港につき、バックパックを荷物預け場からピックアップした。薄暗い蛍光灯に薄緑に照らされた空港のロビーのベンチで、バックパックから寝袋を取り出してくるまり、朝までの時間を耐えた。ぼくの26歳の誕生日は、何とも奇天烈な一日となった。



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