馬日記・その10
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2004年3月21日〜(25歳)
@ Rainbow Gathering in Costa Rica
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残念なことに、この後の当時の日記がしばらくない。
なので、記憶を辿って、書いてみよう。
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今日は、朝のフードサークルが終わったら、数人の仲間でお店のある街まで降りていこうと予定していた。街に行った人の話では、インターネットショップもあるし、あそこのパン屋さんや、あそこの Pizza屋さんが美味しいという話をしていた。やはり、いくらヒッピーかぶれを気取っていても、こういった物質的な誘惑はとても魅力的だ。Rainbow Gatheringでの山の中での自然の中での日々は何も変えがたく豊かだが、何だか、たまにの息抜きで街に行って楽しむのもいいよねー、といったいつもと違った雰囲気にみんなワクワクしていて、その様子も何だか楽しい。ぼくは、なにはともあれ、メールをチェックしてたくてしょうがなかった。日本の彼女や、家族の様子を知りたかった。
Gatharingサイトから、川をジャブジャブと足を突っ込んで渡り、赤土の凸凹道をしばし歩いていく。太陽が頭の上にやってきて、植物たちからムワッと匂いが放たれる。空気がまとわりついてきて、うだる気持ちとなる。緑の匂いなのだろうか、空気の質感なのか、こういった瞬間が、何だか旅先の土地をありありと感じるのだ。この気持ちには、有刺鉄線の柵に区切られた赤土の道の風景も関係しようか。道とも言えぬ道だが、確かに人の手が入っている景色。つまりは、つくられた景色であり、この土地の文化を反映している。柵の向こうには、森が切り開かれた牧草地と牛たちが草を喰む姿が広がっている。そして、しばらく歩いて行くとスペイン語の表記が記された、簡素の建物が見えてきた。半袖短パンをまくし上げ麦わら帽子を被った地元の人々。景色の中に、より人々の営みと文化が混ざり込んできた。ここは、確かに中米コスタリカのようだ。
Rainbow Gathering のサイトとファミリーだけであまりに完結していたもので、Rainbowボケのような錯覚が起こっている。このような本当に片田舎の小さなBUS停への道のりにさえ文化を感じるのは、Rainbow Gatheringでの日々が極度にそんな文化や国境を超えての異次元空間なのだと、気付かされる。ある意味では、全ての国境・人種・文化を全て受け入れて、ごちゃ混ぜにした結果のOnenessが生まれている。Rainbowの名の如く、七色の肌の色の人たちが、一つの家族として暮らしている。お金も時間の観念もなく、ある意味では集団的な文化や法はない。目の前の手付かずの自然と、そして、目の前の人々との会話だけが、その瞬間を決める。人に対して、自然に対して物事を決める価値判断は何かと言えば、それをLOVEと言っているのだろうか。そんなことを手探りで、感じる日々だった。そして、集団での決定をPeaceと呼んでいたのだろうか。LOVEとかPeace、Onenessといった言葉を日常的に使う文化がぼくのバックグラウンドにはないので、この言葉たちの使われ方に、はじめはとても戸惑ったものだが、Rainbow Gatheingでの日々は、その言葉の本質へと文脈をたどっていくような時間でもあった。その文脈を辿れば辿るほどに、固定観念から解放され、よりシンプルになっていき、自由に解き放たれていく日々であった。その先の景色で出会った自分は、笑顔が常に溢れて、目の前の人々、木々、川の流れと混ざり合っていた。いつもの我が身の内に、実はこんな景色があったのだなと、目を見開かされたような、魔法にでもかかったよう気分だった。
Bus停の脇には小さなTienda(売店)があり、ここですでに、みんな盛り上がり、すでにクッキーの包みを買っている人たちもいた。やがて、ピックアップトラックがやってきて、荷台に乗り込んだ。荷台で、風に吹かれながら、みんなでクッキーをつまみ、街を目指した。
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今日はここまで。これまでの記事の日記の書き写し&追記と違って、思い出しながら書くのは、なかなかに内側に深くいけますね。脳みその使っているところがだいぶ違う感じがします。気持ち良い。朝のよい頭のストレッチになりました! よし、次は畑仕事へ。では、よい一日を!