第15回「16世紀前半の薩琉関係とふたつの事件」
16世紀前半、九州南部の制海権は誰がにぎっていたのか、そしてのちの戦国大名島津氏による薩琉交易の独占化への起点はどこだったのか?永正13年(1516)の三宅国秀殺害事件と、天文初年(1532~33)の今岡通詮琉球渡航計画を利用した、守護島津勝久の企みとは?
関連史跡・博物館はこちら
・三宅国秀の本拠、連島(岡山県倉敷市連島)
https://goo.gl/maps/JSBwQiV7npa5hZwi8
・坊津歴史資料センター輝津館
https://goo.gl/maps/85SbqGdB3bZrg13z8
・徳永氏銘がある鰐口を所蔵する真所八幡
https://goo.gl/maps/8XCaBbTKAerfRW1q7
・鉄砲伝来地碑がある門倉岬
https://goo.gl/maps/xZG1pmczy4Bc6HHS7
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