歴史講座「戦国島津」第16回「伊東義祐と本田董親の台頭」
天文9年(1540)に三州太守であることを宣言した島津貴久であったが、翌年以降さまざまな困難に直面する。その困難とは、日向の伊東義祐の南下政策と薩隅国境に成立した反島津同盟である。伊東義祐の家督継承から飫肥進攻に至る過程と、反島津同盟結成のきっかけとなった天文10年(1541)の生別府城包囲について解説します。
ここから先は
11字
/
1ファイル
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?