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見えるものより、残った記憶

うちのおじいちゃんは香川県出身。
讃岐藩の武士の家系で、本家のご先祖様は医師か学者が多いらしい。

次男だったから、どこのおうちにも婿養子に入れるようにと、竹の切り方、ウサギのさばき方、なんでも一通りできるように教え込まれてきたという。

大阪に出てきて喫茶店を営んでいたおばあちゃんとお見合い結婚して、奈良の山や河原でヨモギや山帰来の葉を摘んで、よもぎ餅や柏餅を作っていた。

時は進んで1974年。私が生まれる10年前。
おじいちゃんが40才の時、周りにパン屋さんもコンビニも無かった時代に「これからはパンや」と、三ヶ月修行してパン屋に転身。
その先見の明があるところや決断・実行力をとても尊敬していました。

いつもおばあちゃんと一緒にいて、自転車を二人乗りして行く姿は昔から憧れで。
こんな結婚ができたらいいなぁなんて思っていたけど、大阪を出る直前に「結婚は我慢の連続やぞ」と聞いてびっくりした。
家族の誰にもこぼさなかった苦労を分けてもらって、その強さに驚いた。

小さい時から両親はパン屋で忙しく、妹が生まれたこともあり、私はおじいちゃん・おばあちゃんっ子だった。
だからか、私はおじいちゃんにすごく似ている。
ものすごく生き方も人付き合いも不器用だとか、頑固だとか、信じられないくらいマイペースだとか。
かっこつけてると勘違いされるけど、人様と接する時は誠意をもってきちんとしていたいという(サービス精神の一環でもある)武士的マインドでいるとことか。

実は、私は短所を直さなきゃと思っていた。
でも人生で二回、心が崩壊してしまった時期があって、両方とも私の頑固さや不器用さを治せと人から攻められ続けた時だった。
私だってもっと改善したい。
良くなる努力も自分なりにするけど、
追いつかなくて、自分を責めて、壊れてしまった。

今日、思ったのは、不器用なおじいちゃんが大好きだってこと。
言葉は交わしていなくても、部屋にビスコや桃やイチゴがそっと置いてあって、深い愛情は感じていた。
だから自分の大嫌いな一面も、ちゃんと受け入れる覚悟をして、良い形で表出するようにがんばろうと。

人は簡単には変われないけど、性質を変えるんじゃなくて活かすのはできるかもしれない。

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生きてる間に会えるのは最後かもしれないという朝。
手をつないだ記憶がないなぁと思いながら「またね。」って手を握ってみた。

その瞬間、触覚が「おじいちゃんの手だ」って思い出した。
見えるものより、ずっと深いところに刻まれていた記憶。
人間の触覚はほとんど進化してないんだけど、たがらこそ脳のすごく深くに残るのかも。

むしろ、私自身のアイデンティティの一部にもなってる、おじいちゃん。

はじめて、お盆が待ち遠しくなった。
日曜の昼下がりによく応接間で流れていたPaul MauriatのLove is blueをかけて待ってるね。

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