見出し画像

初めてヨラテンゴを見て大号泣した話

茹だるような熱気を放つ太陽の下を錆びついてガコガコとペダルがひっかかるボロボロのママチャリで漕ぎ着けてたどり着いた河川敷。そこで聞くYo La Tengoの曲はいつもどこか橙色を帯びていて、夕焼けを見ながら聞くのがいつも好きだった。


Yo La Tengoとの出会いは高校2年生の夏だった。


当時はフォールアウトボーイやマイケミを初めとしたエモ全盛期。メジャーにエモが殴り込み次々と新しいバンドが湧いて出ていた時代だった。フォールアウトボーイにゾッコンだった自分は一体どんな音楽が好きかもわからず迷い彷徨う中でエモというレッテルはまたとない道標として機能した。
飲食店のアルバイトで月に6〜7万稼いでいた僕は1万円を新譜に、5000円をBOOKOFFの中古CDに、5000円をTSUTAYAのレンタルCDに毎月落とすことを決め、ネットや雑誌で調べて気になった音源を買い漁っていた。余った分は組んでいたバンドの活動資金及び貯金に充てた。
そんなネットの海、はたまたスペースシャワーやM-ONといった音楽チャンネル、ロッキンオンやクロスビートといった雑誌を読む中で目に飛び込みがちだったUSインディーという単語。ニルヴァーナやパールジャム、ダイナソーJrやウィーザーという顔ぶれがこの界隈に含まれるらしい。どのバンドもギターがゴリゴリと歪んでいてカッコよかった。そう、僕は歪んだギターが何よりも大好きだった。歪んだギターの中にある高揚感、そしてその歪みの浮き沈みで表現される感情が大好きだったのだ。そんな幾つかの特集の中でUSインディーの至宝というキーワードでほぼ確実に名前が挙がるバンドがいた。それがヨラテンゴだった。給料を片手に意気揚々とTSUTAYAに駆け込んだ僕は早速ヨラテンゴのCDを手に取った。名盤として紹介されていたI Can Hear The Beating As Oneを買い物カゴに入れた。

家に帰って早速CDを回して聞いてみた。あれ、なんだろう。ギターがガリガリ歪んでいない。よくわからない。正直な感想だった。僕はその後2度聞くことはなくそのままTSUTAYAにCDを返却した。それがYo La Tengoとの出会いだった。

高校3年生となり、進路を決める時期になった。コツコツとバイトで貯めた入学資金を元手に僕は音楽の専門学校に進もうと考えていた。その意思を表明したが、やはり親や教師、世話になっていたライブハウスの人にも、周りの大人たち全員から止められた。大学は出た方がいい、音楽は好きな時に好きにできるから。僕は大いに悩んだ。皆が言っている事は十二分に理解していた。だけど自分は今ここで勇気を持って踏み出さなかったことをいつか後悔するのではないか。その葛藤を繰り返しては投げやりに日々を過ごしていた。そんな折にふとある動画が目に入った。久しく目にしていなかったYo La Tengoの文字。ふと思い立ちその動画を見てみた。


決して上手ではない演奏だけどギターノイズで高揚感と繊細な心の機微を表現するYo La TengoというUSインディーの至宝がそこに存在していた。
そうだインディーロックが出来るじゃないか。急にストンと自分の中で腑に落ちた。そして僕は大学に進学することを選び、その足でTSUTAYAにあるヨラテンゴのディスコグラフィーを全て借りて帰っていた。

その後大学生となった僕は講義の隙間時間を使って自習室に入り浸っていた。高校までは家にPCがなく携帯のパケット制限と格闘しながらネットを見たり動画を見ていた反動で、無制限に使えるPCでYouTubeにアップされていた音源やライブの動画を漁りまくっていた。引き続き僕はUSインディーと呼ばれる音楽が大好きで、それに限らず色んな音楽を聞き続けていた。そんな中でとある動画が目に入った。Yo La Tengoの名前が目に飛び込んできた。その動画は俗にいうルーフトップコンサートと呼ばれる動画だった。久しぶりに聞いてみようと思いその動画を再生してみた。


一面の夕焼けに陶酔するように狂おしいギターノイズ。その光景と音のコントラストに僕は恐らく人生で初めて美しいと言う感情を覚えた。

それからというものの僕はYo La Tengoの音源からライブ映像まで漁り続け、一時はYouTubeにある動画を全て見尽くしたんではないかという位隅々までヨラテンゴの事を追い続けた。どんな時でも側に寄り添うような音楽だと思うようになった。音楽の事が嫌いになりそうになった時もあったけど、ヨラテンゴの音楽を聞くとそんな気持ちは強がりでしかないと教えてくれ、自分の音楽への愛をいつも見つめなおさせてくれた。

時は流れて2023年。東京に出てきてもう8年ほどたっていた。その間にも沢山の人に出会い、別れ、挫折し、苦悩し、選択をした。音楽に熱中するあまりに多くのものを得もしたし失いもしたような気がする。そしてまた人生の岐路に立ち、新しい門出をしようという時にあのYo La Tengoの新譜が出た。もう皆60近いというのに、瑞々しい感性が溢れんばかりに演奏された素晴らしい1枚だった。そしてフジロックに出演する事が決まり、僕は縁があって3日間参加することになった。人生で初めての3日参加、そしてYo La Tengoを生で見ることができる。それが何よりも自分の中で大きな期待感になって夏が来るのを待ち遠しく思った。

7月28日。車で苗場に降り立ちテントを立てて夢のような3日間を過ごそうと全力で1瞬1瞬を楽しんだ。過酷な日差しを浴び雨に降られながらも夢のような時間を過ごし、遂にその時がきた。Yo La Tengoを見るために最前は取れずとも前から3列目くらいに陣取り、開演を今か今かと待ちわびる。そして現れる3人の姿を大きな拍手で迎える。僕は目と耳を全て傾けて、今この時を忘れまいと全ての神経を3人の姿と演奏に預けた。
ずっと恋焦がれて画面の向こうでしか見ることができなくてもどかしく感じていた僕の淡い想いに応えてくれるかのように、素晴らしい演奏がそこにはあった。学生時代から衝撃を受けずっと頭の片隅にあったあの音が今目の前で鳴らされていた。すると、ふいに涙腺が緩み始めていた。彼らの音と僕の人生はいつの間にか深く繋がりあっている事をその時理解した。もしあの時彼らの音に出会わなければ自分はどういった人生を歩んでいたのだろうか。今まで出会えた人、物、景色、感情、思い出がフラッシュバックする。今自分が歩んでいる道を振り返ってあまり後悔はないと思った。この道を歩む後押しをした音を彼らは最高の演奏で鳴らしていた。幾つになってもどうあっても音楽は出来るんだよって言っているような気がした。気付けば涙が止まらなかった。

そして最後に演奏されたのはI Heard You Looking。大学への進学を決めた曲だった。僕は心の中で「ありがとう」という言葉を延々と呟きながら、高揚感と繊細な心の機微を表現するアイラのギターノイズをただただ見つめ続けていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?