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至福で眼福で幸福で、

溢れそうだ。優しくて、熱くて、話すには言葉が足りない。零れ落ちてしまいそうなくらいの一日だった。

今日は仲良くしている友人と映画にいく約束をしていた。
「仲良くしている」と言っても2人で遊んだことがなく、今日が初めての日だった。
待ち合わせ15分前に駅につき、本屋で大好きなPOPEYEを取ろうとしたけど、身長が足りずにFUDGEのアートの記事を読んだ。(ロンドンのダッシュボードに若手のアーティストが作品を残し、有名な美術館が作品使用料を払うといったような内容だった。)

そんなこんなでふと右を見ると友人が少し緊張した顔でこちらを見ていた。

ぎこちない、でも仲はいい。
わたしたちは挨拶を済ませ、ここ数日文字と声だけで話してた相手と歩いていた。

事前にここが良さそうと話していたイタリアンのお店まで歩く道すがら、昨日フットサルをしていたからまだ足が痛いんだと話す友人はとても可愛かった。
お店に着くと、少しまだオープンまで時間があったので、ふらふらその辺りを歩こうとなった。会話は、電話したり文字で話すのと特になにも違いはなく、連日2時間、4時間電話してたのに話は尽きる様子もなかった。むしろ会ってこうやって話すのはやっぱり楽しかった。

"あーなんかこんなに居心地いい人と出会ったのはワトソン以来だな" と心の中でふわあと気持ちが溢れた。(※ワトソンとはわたしの今年に入って仲良くなった友人の1人だ。以前記事にも書いているのでよければ探してみてほしい👵🏻)

イタリアンではコスパよしのとても贅沢なランチセットを食べた。
そこでわかったのは、食べ物の趣味もかなり合うという点だった。2人の中でかなりそのお店はヒット。(友人は「こんなに気にいるとは…」と口にしていた。)

心もお腹もほどよい感じでいっぱいになると映画まであと少し。

ポップコーンはコロナで映画館内での飲食の制限をしていたため、断念。
つぎは食べようと話になった。「つぎ」と言えるのは、未来を考えられる相手にしか言えないことだから、自然にそう思えたのはなんだかすごく嬉しい。

(映画の話はまた別のところに書く。ちなみに見たのはマティアスアンドマキシム✌︎)

映画の感想を人と言え合えるというのも、また技法や表現について話せるのはすごく有意義で、意味とか意義とか置いても、ただ目の前にあるものに目を凝らす幸福感があった。

こんなに気が合うというか、自分が自分でいられる人といるというのは心地いいのだなと改めて感じた。

カフェに寄って(カフェにいる時まさかのまさかで友人の友人が窓の外にいてはしゃいだりしたのも楽しかった)、話をして、たべて、のんで。

多福感に包まれつつ、まだ一緒に居たい気持ちもありつつ「じゃあそろそろ帰りましょうか。」とひとこと。

外に出ると、月が赤く、不思議でなんだか特別な気がした。駅までの通路は動く歩道で、歩かずに夕焼けと夜景を見ながら、話した。
少しでも長く、と口に出さずとも伝わっていたのかもしれない。

乗り換えの駅が同じため電車を一緒に乗ると、目の前の広告には「脱毛」。「やかましい広告だな〜」と考えていた。すると、友人が指差して「たくさんあるね」と。
考えていたことが同じだったらしい。

今日は何回も言いたいことや言おうとしていたことが被ったりしていた。(今までも話すタイミングが被ることとかよくあった)

あーーーーー、なんか今年は誰よりもいい出会いをたくさんしてる自信があるな、おやすみ、ねよ。

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