見出し画像

痛む手のマメ、満たされる心 【カラモジャ日記 24-02-28】

 雨の匂い。土の匂い。牛糞の匂い。十日ぶりに足を踏み入れた畑は、新しいシーズンの匂いに満ちていた。

 ナタパル村の住民たちが、野菜を植えるために畑の準備をしている。今日の主な作業は野菜の苗を植えるための畝作り。そして土を肥沃にするため、畝に牛糞堆肥を混ぜ込んでいくことだ。

 住民たちは、今日も賑やかに歌いながら鍬を振りかぶる。農作業はいつだって重労働だけれど、彼女たちはまるで答えを知りながら問題を解くかのように、スムーズに畑を耕していく。

 細いながらもたくましい腕が規則的に回転し、ザクっと鈍い音を立てて地面に突き刺さる。彼女たちはいつだって懸命だ。

 僕も負けじと、彼女たちの横に並んで鍬を振りかぶる。コツンと高い金属音が鳴り、鍬は空中に弾き返される。
「そんな弱い力じゃ通用しない」と土が言う。
「そんな弱い力じゃ通用しない」と女性たちは笑う。

 農業とはどの作業をとってもシンプルに見えるようで、実際にはとても大変な営みであると僕はこの一年で学んだ。一定時間鍬を握っていると、少しずつ腕が痛み、肩が痛む。いくつものマメが、手のひらで歪に膨らみ始める。簡単なことなんて何一つない、と僕は汗をぬぐい、飲料水を胃のなかに流し込む。

畑を耕すエネルギッシュな住民。

 思いきり背伸びをして空を見上げると、どんよりとした鼠色の雲が僕たちを覆っている。天気は終始曇り。畑には少し早い雨季の到来を匂わせるような細かい雨が降り注いでいた。太陽が顔を出していないだけ、風が涼しくてありがたい。

 働き者の女性たちは作業がひと段落つくと、畑の端にしゃがみ込んで赤ん坊に乳を与える。そして長い井戸端会議が始まる。今日は僕も仲間に加えてもらう。

「今シーズンの目標な何なの?」と僕は女性たちに尋ねる。
 すると女性たちは口々に今年の抱負を語り始める。TEDトーク@カラモジャの畑、開演。
「全シーズン以上の収穫!」
「今年は野菜を売って得た収入で、また別の野菜の種を買って家庭菜園を始めるのよ」
「小魚を買って、村の中で売る小規模ビジネスを始める予定だわ」
「いいアイデアでしょう?」とある少女は僕の反応を知りたがる。
「いいアイデアだと思う」と僕は一回一回相槌を打つ。そして雑談のテーマは突拍子もなく変わる。

「ところで」お調子者の少女が僕のプライベートを知りたがる。「ユウキは結婚しているの?」
「もちろん、結婚しているよ」と僕は嘘をつく。
「子どもはいるの?」
「来年1人目が生まれるんだ」と二度目の嘘をつく。僕が得意とする定番の嘘たちだ。
「嫁はどこにいるんだい?」ちょうど畑から戻ってきたオバチャンがカットインしてくる。
「どこか遠いところだよ。だから子どもは来年までお預けなのさ」
「一回日本に帰って、子どもを作ってから戻ってきたらいいじゃない」とオバチャンはどうしても僕に子作りをさせたがる。
 僕は何も言わずに曖昧に笑っている。こういう時は余計なことを言わない方がいい。

「ユウキは何人子どもがほしいの?」と少女はまた思い出したみたいに言う。
「3人くらいかな」
「とても少ないわ」と必殺技カットインのオバチャンが顔をしかめる。
「養えるだけの財力がないんだよ」
「でも3人とも女の子だったらどうするの?男の子が欲しくならない?」
「うーん、その時は4人目を作ろうと思うかもしれない」
「そうなのよ!まさに。そうやって私たちはたくさんの子どもを作る。男の子が2人ほしいのよ。女の子は結婚したら夫と暮らすために家を離れる。男の子は結婚しても家にとどまる。稼ぎの一部で私たちの面倒を見てくれるかもしれない。とにかく男の子2人、女の子2人は絶対よね」
 そこまで一気に話しきるとオバチャンの息が切れる。
 頬を濡らす小雨なんて誰も気にかけず井戸端会議はその後も続いていく。アジェンダなんてない。ただ雑談が続くだけだ。

「仲間に入れてくれてありがとう」と僕はそっと微笑みながら言う。「さて僕はもう一働きしてくるよ。まだ割り当てられた作業が残っている人もいるから」
「働き者のあんたには、きっと神のご加護があるよ」
 明るい声を背に受けながら、僕はもう一度畑の中心に向かって歩みを進める。

 今の僕にとって最も幸せなのが、住民たちと農作業に励み、オチのない話に花を咲かせているこの時間だ。自然の中で土に塗れながら、顔の見える人たちとフィジカルな対話を続けること。「なぜこんなにも心が満たされるんだろう」といつも僕は不思議な気持ちになる。

 休憩後の作業再開にて。両手のひらに二つずつできたマメが一際痛む。それだけじゃない、僕は体の異変を感じ取る。両手の筋肉が痺れて、思うように動かせない。脊椎ミシミシと悲鳴をあげる。

 鼠色の雲は少しずつ膨らみ、少し前よりも激しく僕たちの体を濡らす。汗と疲労が洗い流されていく。やれやれ、今日はよく眠れそうだ。

記事が「いいな」と思ったら、サポートをいただけると嬉しいです。ウガンダでの活動費に充てさせていただきます。