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【再掲】青い毛布(11/12)

「……ねぇ信吾。月ってさ、どうやって生まれたか聞いたことある?」

浅い眠りの中でまどろんでいると、沙希が急に耳元でそう囁いた。
信吾がうっすら目を開けて「……月?」と聞き返すと、沙希は続きを話し始める。

「……地球って最初はね、今よりもずっと大きかったらしいんだけど、ある時大きな隕石が来てね、地球のものすごいたくさんの部分を抉り取って、そのまま周囲にばらばらになって散らばったんだって。 

……その散らばった破片達がね、長い時間をかけて、地球の引力とかの関係で少しずつまとまって、丸くなって、最後に今の月になったんだって。……ねぇ信吾、聞いてる?」

少し間があってから、うん、と信吾が応えると、沙希は話を続けてくる。

「信吾が時々ね、……もしかしたら私以外の他の女の人の事を考えてるんじゃないかって思う時があって。……ほら、この間のプラネタリウムも、あれは本当は女の人からだったんでしょう?」

沙希の勘の良さに、信吾は一気に目が覚めてくる。

「私ね、人が嘘ついている時って何となく分かる方なんだよね。たまにその人が何を隠して嘘ついているかも分かる時がある……。だからね、信吾がその女の人、今はもう好きじゃないか、もうずっと会ってないって言うのもなんとなく分かる。その事を今、布団の中でずっと考えててね、ぱっと、月のことを思い出したんだ」

そこまで言うと、沙希は少しの間何かを考えるように黙り込んで、その後に信吾の横顔をじっと見つめるようにまた話し出す。

「……その人はきっと、信吾にとって、地球から見た月みたいなものなんじゃないかって。……昔は大事な自分の一部分だったけど、ある時砕けてばらばらになってしまって、今はどうにもならないくらいに離れた場所で、死んで冷たくなったかつての一部として空に浮かんでる、そんな月みたいなものなのかなって。…ねぇ、これどう思う?」

「……合ってるよ。…怖いくらいに合ってる」

「……忘れられないの?その人の事」

「……忘れてたんだ。……でも急に思い出して。…だけどそのうちすぐに忘れるよ」

「……でも、またそのうち思い出すんでしょう?」

「……そうかもしれない。……分からないよ」

そこまで聞くと、沙希は何かを確かめるように足の指先でしばらく信吾の足に触れて、それから仰向けになると、今度は蒼白い天井をじっと見つめ始めた。

「……そういえばさ、今日病院行ったら赤ちゃんができてるかもだって」

何かのついでのようにそう言われて、信吾が思わず跳ね起きると、沙希は身をよじらせながら小さな笑い声を漏らした。それから、「眠いからその事はまた明日話すね」と言うと、目を閉じたまま何も喋らなくなってしまった。

信吾は放心したように寝転がって仰向けになると、しばらく様々な事に思いを駆け巡らせ、また身を起こして沙希の顔を恐る恐る覗き込んだ。

沙希は早くもすやすやと寝息を立てて眠ってしまっていて、その寝つきの早さに呆れながらも、そういえばこういう類の冗談や嘘を、今まで沙希が言った事は一度もなかった事に思い至る。

それから信吾はまた横になると、自分が本当に父親になったらどうなるんだろうという想像にしばらく身をゆだね、そのあまりの現実味のなさに、自分は本当に父親になんてなれるのだろうかという危機感を覚え始めていた。

部屋の中は深夜の蒼白い闇で満たされていて、その中でゆっくり呼吸を繰り返していると、どこかの広い夜の海に、一人で遭難でもしたような気分になってくる。

……それにしても、結衣子の結婚相手はやっぱり浅野先生なんだろうか?

危機感を覚えた矢先にその疑問がふと浮かんで、信吾は自分が少し嫌になりながらも、その止める事のできない考えの渦に次第に足元を取られていく。

それから、あの駅で無理にでも結衣子を引き止めていたらどうなっていただろうとか、それをしなかったのは本当に結衣子のためだけだっただろうかなどといった事を何度もぐるぐる考え始め、やがて今さらそんな事を思い返しても何の意味もないと思い直すと、信吾は体の向きを変えて、隣で寝ている沙希を強く抱き寄せた。

沙希は一瞬苦しそうに呻くと、やがて諦めたように体の力を抜き、また静かに寝息を立て始めて、そしてその規則正しい呼吸のリズムを聴きながら信吾も目を閉じると、そのまま暖かな泥に飲み込まれるように、再び眠りの中に落ちていった。

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