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【再掲】青い毛布(10/12)

結衣子は出発の時刻が近づいても、最終電車に乗れないままホームに立ち尽くしていた。

このまま乗らずにいれば、この夜が永遠に終わらずに続いて、ずっと信吾の傍に入れるような気さえしていた。

鞄の中で携帯電話が鳴っているのに気が付いて取り出すと、どういうつもりなのか浅野先生からで、通話ボタンを押して耳に当てると、電話の向こうで憔悴しきった声が聞こえてきた。

「……結衣子?ずっと掛けてるのに何で出ないんだ?…今どこにいる?…ご両親からこっちに連絡来たぞ。……お前がどこにいるのか知らないかって。…もしかして俺達の事もう話したのか?……約束が違うじゃないか。……何で何も答えないんだよ?……電車の音がするな。駅のホームにいるのか?……まさか飛び降りるとか、変な事考えてないよな?」

結衣子はホームを駆けて電車に乗り込んでいく人々をじっと見つめた後に、それに答える。

「……先生はさ、臆病者だよね。……本当は誰よりも臆病で、寂しくて、自分に自信がないんだよね。……生徒の私に手を出したと思ったらさ、他の男を遠ざけるために裸をネットで晒したりして、……妊娠させたのも本当はわざとでしょう?誰かに自分の物を取られるのが、怖くて怖くて仕方なかったんだよね?」

向こうで何かを答えるのが途切れ途切れ聞こえたが、結衣子はそれを無視して自分の話を続ける。

「……ねぇ。先生は私の事、本当に好き?…私は先生の事、ちゃんと好きなんだよ?」

発車のベルが鳴り始めると、眉間にしわを寄せた人の群れが必死になって電車に駆け込んでいくのが分かった。結衣子は相手の返事を待たずに電話を切って、そのまま電源を落とすと鞄の中にしまった。

――結衣子にとって、本当に何が大切なのかを考えたら、結衣子が今、たくさん話をしなきゃいけないのは、やっぱりオレじゃなくて、浅野先生とだと思うんだ。

信吾の言葉をふいに思い出すと、ベルが鳴り終わる直前に結衣子は咄嗟に電車に乗り込んだ。

扉が閉まると、電車はモーターの音をうならせながらゆっくり動き始め、結衣子は窓の外に視線を移すと、駅のホームが目の前から少しずつ流れ去っていくのを黙って見つめていた。

……信吾は私の次に誰を好きになるのだろうか?…その人を、私より大事に思うのだろうか。…今日のあの時みたいに、とても大切そうに、その女の子の体に優しく触れるのだろうか。

ふとそんな事を考えている自分に気づいて、結衣子は電車の中で堪えきれずに泣き始める。

……心がちぎれそうだ、苦しい、どうしてこんなに苦しいんだろう…。

結衣子を乗せた急行電車は止まらない駅を次々と通り過ぎて、反対路線の電車とすれ違う度に車内に轟音を響かせた。

そうして人工の光を抱いた景色が車窓の外に広がっていくと、その中で二人が交じり合った時間も嘘のように溶けて消えてしまうようで、梅雨の空に浮かんだ赤い月だけが、やけにありありと、これから乗り越えていかなければいけない現実を映しているような気がしてならなかった。

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