松田伝十郎の存在を知ることができたのも良かったのです。(『ヲロシア通詞: 村上貞助略伝』感想・続き)

『ヲロシア通詞: 村上貞助略伝』で非常に勉強になったことの一つが、松田伝十郎です。
ゴロヴニンらの釈放のために松前から箱館までの護送にあたった責任者として登場しております。
その場面で、「じつはカラフトが島であると最初に発見したのは間宮林蔵ではなくて松田伝十郎だというのが奉行所関係者のもっぱらの見方である。」
という文があるのです。
そこを読んだときは、「え!まさか、本当に?サラッとエライこと書いているなあ!」と思ったのですが、調べてみると本当にそうらしいのです。
松田伝十郎の出身地、柏崎市のウェブサイトでは、「樺太が離島であることを最初に確認した」とあります。
そこでは、「松田の確認後、現地探検を行った間宮林蔵が対岸まで渡航調査したことにより、海峡名が「間宮海峡」となりました。」とあります。
東洋文庫の『東韃地方紀行他』の解説に、松田伝十郎と間宮林蔵の2人で、カラフトと大陸の間に海峡があることを確認しあった旨が書かれています。

知らなかった・・・
歴史上では、いや、歴史上でなくても、このような「偉大なことを成し遂げたわりには世間的には有名でない」人々が大勢いるのだろう、と考えさせられました。

松田伝十郎と間宮林蔵の活躍を描いた乾 浩の小説「北夷の海」「東韃靼への海路」が良かったです。(単行本『北夷の海』収録)

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