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3/10(Thu): ぼーっとする時間はだいじ【大学生の備忘録】

こんばんは、たばちいです。

今、岩盤浴に来ておりまして、非常に優雅な時間を過ごしております。

ただ気ままに思ったことを備忘録として綴っておきますね。




みんなが漫画を読んでいる中、私は音楽雑誌を読んでおります。もちろん、ロッキンね。

CDJ2122のレポートや04 Limited Sazabysのインタビューなどなどを読んだんですけど、特に印象的だったのは、SUPER BEAVERのフロントマン、渋谷龍太さんのインタビュー。

Newアルバム『東京』の全曲解説がされていた。後でアルバムを全曲聴くことにしよう。

特別インタビューとはまた別に、毎月連載されている「俺はいいけど うちの大将がなんて言うかな」というコーナーも面白い。

渋谷さんが、自分の飼い猫「大将」の目線になって、自分のことを綴っている。

SUPER BEAVERの歌詞によく「想像力」という言葉が出てくるが、やはり彼にはすばらしい想像力が備わっている。


そのコーナーの中で気になった言葉がある。

誰に頼まれて生きているわけでもないのだから、
少しでも誰かの役に立ったのなら
いちいち歓べよ人間。

いちおう猫の目線で書かれてはいるが、自分が自分に対して日々思っていることなのだろう。


人間にはそれぞれ生活があって、結局はみな孤独。「頑張れ」と励まされたって、結局最後に一歩を踏み出すのは自分。

結局は、自分が自分のために勝手に生きているだけなんだよね。

「誰かの役に立つために生まれた」なんてただの幻想。私たちには大した生きる意味なんて無い。


私たちはそんな脆い存在だけど、やっぱどこかで誰かを頼りにしていて、誰かの生きる意味になっていることだってあるんだよね。

私はバンドマンが好き。前述した渋谷さんだって、私にとっては輝かしい存在。

でも、彼らはきっと最初は「音楽が好き」というシンプルな自分の想いから始まったわけで、「誰かを助ける」だなんて大それた考えではなかったはず。

いつの間にか沢山のファンが出来て、ライブを通じてファンを励ましたり、人々を応援したりして、少しずつ「誰かのために生きる」感覚が備わっていったのかもしれない。


これって、有名人に限ったことではないよね。

身近な友達にだって、憧れもあるし尊敬もあるし愛着だってあるし。

私は正直、自分本位で生きてる人間だし、このnoteだってただの自己満足。「誰かのために生きる」ことをあまりしてこなかった。

でも、「たばちいはすごい」とか「たばちいのこういうところが好き」と言って頂ける。なんてありがたいことだろう。

私が自分のことを、誰かに影響を与える存在だと自覚していないのと同じように、私が憧れるあの人だって、大好きなこの人だって、きっと自覚はしていないのだろう。


「誰かの役に立つ」だなんて普段考えずに生きているからこそ、誰かの役に立った時には、心の底から歓びを味わっていかなくてはなあ。


と、岩盤浴で寝転がりながら、ちまちまスマホをスワイプさせているわけですが。

つい先日に、文章がなかなか上手く書けないなどと言っていたけれど、なぜか今はすらすらと言葉が紡ぎ出されていく。おもしろいね。

最近は、一人になって自分の思考と向き合う時間があまり取れていなかった。

インプットとアウトプット、誰かといる時と一人でいる時、結局はバランスがだいじなんだろう。

ロッキンの熱いインタビューを読んで、岩盤浴で一人で思考を巡らせて、ぼーっとしながら頭に浮かんだ言葉たちを文字に落としていく。

非常に有意義で豊かな時間だ。


みんなが岩盤浴によく行く目的は色々あるだろうけど、自分の思考とゆっくり向き合える点では、とっても良いものだと思った。

周りの人のほとんどは漫画を読んでいる。漫画にハマらないアウトローな私だけど、それはそれで楽しい時間だ。また行きたいな。


まだ時間がありそうなので、もう少し書こう。

フォーリミのインタビューを読んだら、音楽に対する彼らの熱い想いを感じ取ることができた。

彼らの中には理想のライブというものがあって、でもコロナ禍ではそれが実現できなくて、彼らは今でも葛藤を抱えながら音を奏でている。

一人の音楽ファンである私にもその気持ちが少しだけ理解できる。

私は、モッシュやダイブのあるライブを見たことは無いし、爆音で音楽をかき鳴らして、そこにいる人たちが一つの音楽で盛り上がる、その瞬間もまだ数回しか出会えたことがない。

私も、コロナ禍の今のライブが完全体であるとは到底思えない。私の知らないもっとすごい空間がこの世にはあったのだろう。

ただのバンドファンですらそう思っているのだから、音楽に全てを捧げてきたバンドマン本人たちは、もっと計り知れない想いがあるはずだ。


CDJ2122に行ってライブを見た時に、たくさんのアーティストの音楽への想いを感じた。

憤りを覚える人、虚無を味わった人、それを超えて「音楽を鳴らすしかないんだ」とライブに臨む人。それぞれが様々な想いを持っていた。

ロックファンである私も、大した力にはなれないけど、音楽を止めない、フェスを止めないという気持ちを忘れたくない。

私が生きている以上、音楽を愛していきたい。

改めてそう感じた瞬間だった。

そして、フォーリミの願う理想のライブに私も出会いたい。彼らの望む理想の空間とは何なのだろうか。少なくとも、最高の空間であることだけは絶対に保証されているに違いない。



あらー、岩盤浴でのんびりするだけで、こんなスラスラと言葉が降りてくるのね。すごい。

私はつくづくインドアで、一人の時間がだいじなんだなあ、と改めて実感しております。

十分すぎるほど言葉が降りてきたので、今回の記事はここまでで良いですかね。

私はもう少し一人でのんびりしたいと思います。それでは、また。

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