箱の中身
好きなミュージシャンの定義を考えてみる。
まだ確たる定義は定まっていないが、「そのミュージシャンの曲のカバーが好き」は定義其の一である事まではわかっている。
「好きだからこそ本家しか聞きたくない」と思う事はむしろ少ないかもしれない。
ふと、自分が弾き語りのYouTubeチャンネルを開設した時のことを想像してみる。
名前はどうしよう。
あんまりダサい名前は嫌やな、かと言って自分と全く関係ない名前もなあ。
「あいみょん良いよな」大学時代に友達がそう言った時、そんな名前のやつの曲が良いはずがない、と思ったのは正直なところだ。
今となっては、恐らくその友達より私の方があいみょんの事が好きだ。なんならその友達のことよりもあいみょんの事が好きだ。
全てのモノには名前がある。
きっと最初は何者でもないただの記号や文字の羅列だったに違いない。
あいみょんというヘンテコ(?)な文字の羅列も、今では徳川家康よりも列島を駆け巡る頻出ワードだ。
名前なんてものは箱でしかない。その箱の中身に人々は意味を見出し、やがてその箱の形は唯一無二だと認知されていくのだろう。
あまり箱にはこだわらずに行こう。
逆に太郎で活動してみようかな。
この場合「逆に」は禁止ワードか。
ならばその逆に、、
弾き語りYouTuberの肩書きを名乗るにはもう少し先の話になりそうだ。
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