何を追い求めて生きていくのか、しあわせになりたい人へ
何を指針として生きていけば良いのか彷徨っている人に送りたい。
また、世間一般における幸福といわれていることを追い求めている人にも送りたい。
しあわせいっぱいだ、という人にも送りたい。
あなたの人生がより豊かで色鮮やかな、そんな人生であるように。
モノクロのようなどこか味のある人生を送りたい人にとっては、これは大変に失礼した。
ダイナミックな人生を送りたい人もいれば、野に咲く花のような人生を送りたい人もいるだろう。
あなたはどんな人生を送りたいだろうか。
幸福について、河合隼雄の幸福論よりこんなお言葉がある。
幸福を第一と考えて努力するのは、あまりよくないようである。結果的に幸福になるのは、いいとしても、はじめから幸福を狙うと、かえって的がはずれるようなところがある。
わたしは面食らってしまった。
この文章を読んでなお、幸福を求めて生きていきたいと思っている自分、他人にも幸福でいてほしいと思っている自分に気づいてしまったからだ。
幸福なら生きていてたのしいだろうし、他人にも優しくなれる。
好意や愛の好循環が生まれてくれるのではないかと思う。
だからどうしても幸福を求めたくなってしまうのだ。
河合隼雄先生は同著書でこう続ける。
要は、かけがえのない自分の人生を、いかに精一杯生きたかが問題で、それが幸福かどうかは二の次ではないか。あるいは一般に幸福と言われていることは、たいしたことではなく、自分自身にとって「幸福」と感じられるかどうかが問題なのだ。
自分の人生を精一杯生きることが大切なのだと、幸福であることを追い求めるのが第一ではないのだと、そんなことを学んだ。
あなたにとっての幸福とは、精一杯生きるとは
ここで大切になってくるのは、あなたにとっての幸福とは何か、精一杯生きるとはどういうことかということだと思う。
世間一般でいう幸福であることを追い求めて達成したとしても、本当に自分が望んでいたしあわせではない、という矛盾が生まれてくるように思う。
あなたは何をしているときにしあわせを感じるだろうか。
例えばわたしは、自己を表現することや人が嬉しそうにしているとき、自分のことを理解してもらえたとき、外界への興味が湧いたとき、平和を感じるときにしあわせを感じる。
自分やみなが健康であるときにも感じるものがある。
だからといって、健康でないことが不幸せなこととは思わないが。
不安や憂鬱な気分を感じない、軽やかな気分であるときにもしあわせをとても感じる。
何をしているときに精一杯生きているかと言えば、仕事をしているときや家事をしているとき、自己を表現しているときだと考える。
あなたがしあわせだと思うとき、精一杯生きていると思うときをぜひ知りたいものである。
これはもちろん人それぞれだと思う。
ただあまり無理をしすぎては自分を壊してしまうため、気をつけた方が良いだろう。
(破壊から生まれる気づきも大いにあると思うが)
思うのは、
本人がしあわせを感じていなかったとしても、精一杯生きた人生は結果として幸福な人生
と言えるのではないかということである。
あなたが自分の人生を自分の生きたいように、生きていかれることを願っている。
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