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《日記》わたしのあたまのなか/憂鬱から脱する方法

こんな人間がいるんだよというだけのものです。

もっと他の人が作り上げた文化を享受したのしみたいです。
そして人と交流していきたいし、お互いを理解し合いたいです。
そして平和な世界を広げていきたい。

あたたかい家庭をつくり、日々を落ち着いて過ごしたい。

日本というのは時間に追われている国のように感じます。
だからこそのメリットがあり、デメリットがあり。
人々が辛そうにしているのを見るのは、つらいです。
嬉しそうに、落ち着いているのを見るのはしあわせです。

人間と自然は共生できるものと信じています。
そのために行動している方に頭が下がります。
そしてわたし達を受け入れてくれている、自然にも頭の下がる思いです。

環境を汚している自分自身、人間に怒りが向くと同時に、生きているとはそういうことかと仕方なさを感じます。

昨日は人間の深みについて考えていました。
分野ごとに深みは違っていて、自分が思う以上に人の深みは海より、同じくらいに深いのではと思います。

その深みを知っている人々がいることに喜びを感じ、一方で悔しさを感じます。

わたしも物事を達成する喜びを知りたいのです。

わたしは自殺したい方の苦しみをほどきたいですが、関わらせていただくことで自分がそのスイッチを押してしまう怖さ、また引っ張られてしまう怖さを感じます。

まだまだ、というか一生そんなパワーはわたしは得られないのではないかと思ってしまいます。

わたしは基本的に性善説を信じています。
自分が変われば相手も変わってくれます。
相手を非難する、批判する様子をみると残念に思います。
ただ非難するパワーは、すごいものがあると思います。

自分が変われば相手も変わってくれるため、ひとに怒りを抱くことはずいぶんと減りました。
わたしはここでふと、変わらない自分に怒りを向けていることに気がつきます。

とても怖いです。ごめんなさいと謝ります。
がんばりなさいよと声をかけられます。
頼むから変わってくれという懇願のようなものも感じます。
そうすればあなただけではなくみんなも楽になれるのに、と。

わたしは自分で思っているより細かくて面倒くさい人間なのではないかと思いはじめました。

自分が変われば周りが変わるということを分かっていても、周囲の人の振る舞いに首をかしげてしまうことがあります。

無力感に襲われています、わたしは何もできないのではないかと。何をする気分にもならないです。

憂鬱というのは、自分がもっとやりたいことがあるのにその声を聞いてくれない自分は感じる感情ではないかと思いました。

ありのままの心を大切にすると、憂鬱が幾ばくか良くなりました。

ありのままの心を大切にするとは、自分が感じていることに目を向け、自由に表現することを許すこと。自分の心の声に耳を傾けること。

これは自愛にも通ずるものがあるのではないかなと思いました。

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