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STAY GOLD

大好きな人は誰?って聞かれたら真っ先に思い浮かぶ人がいる。

ライブハウス太陽と虎の経営やチャリティーロックフェスカミング神戸を立ち上げた人、松原裕さん。

今日はその松原さんが亡くなって三回忌。

同じ神戸出身(しかも隣町レベル)で歳も近かった松原さん。被災地からの恩返しとして2005年からチャリティーフェスカミング神戸を立ち上げた。このフェスは入場料無料、集めた募金をその時々の自然災害の被災地に寄付するという趣旨だ。松原さんの熱い思いに賛同し、多くのミュージシャンが手弁当でこのフェスに登場した。
僕はこのフェスに対する松原さんの想いが大好きで、毎年欠かさずに足を運び一年間貯めた小銭貯金を手当たり次第募金箱に突っ込んだり、SNSなどでこのフェスの大切さなどについて訴えかけたりしていた。

ある年の出来事。
その当時、僕は仕事も恋愛も何もかもが上手くいかず鬱々とした日々を過ごしていた。日々の楽しみといえばライブ、ライブ、ライブ。ライブに行っている間は悩みも吹き飛び、僅かな時間だが現実逃避が出来た。
その年のカミング神戸の帰り道、最寄駅で声を枯らして募金を呼びかけている松原さんの姿を見つけた。連日連夜の準備に加え、当日は朝から晩まで会場中を駆け回ってとっくの昔に疲れ果てていてもおかしくないはずなのに松原さんは必死に募金を呼びかけていた。
ありったけのお金を募金箱に突っ込み、松原さんと握手を交わした後、松原さんの一生懸命な姿、それと比べた自分の不甲斐無さなど様々な想いが入り混じり「松原さん…僕…」と何も言葉に出来ずいきなり号泣してしまった。そんな自分に松原さんは肩に手をやり「お互いにいいものを作りましょう」と話した。

当時の僕はその言葉の意味はよくわからなかったがその言葉に勇気を貰い、心の支えとなり、少し気が楽になり、ほんの僅かだが毎日を頑張れるようになった。

何年か後に松原さんに直接そのことを伝えたら、お互いに号泣した笑

その松原さんは2015年に癌が見つかり余命宣告を受け、ブログで公表した。公表したその日、僕は居ても立っても居られなくなり仕事をサボり、癌封じのご利益がある神社まで行きお参りをした。そして、その足で松原さんの事務所まで駆けつけて御守りを渡そうとしたところ、まさかの本人登場。
癌を公表した当日、得体の知れないヤツがいきなり事務所に押しかけて来るという展開にもかかわらず松原さんは「ありがとう!この御守り手術の時に持っておくね」と笑いながら受け取ってくれた。

その後、2019年にこの世を去る直前まで病と闘いながら現場に立ち続けた。


気がつけば僕は松原さんともうすぐ同い年。
最近ようやく、あの日の松原さんがかけてくれたあの言葉の意味、そして僕がつくるべきいいものがわかったような気がする。

いつかまた松原さんに会ったとき、「松原さん僕いいものつくってきましたよ!」って胸を張って言ってるかな。またお互いに号泣してるのかな。

きっと、言えるよね。

いいものをつくるため、僕は頑張るよ。


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