6.ヒルデガルドは執筆名、画家活動名はTAKAKO、(宇宙や天使たちと繋がる活動名はChiara TAKAKO)
私が起業し立ち上げたギャラリーはガレリアフェニーツェと言います。ガレリア フェニーツェはイタリア語です。英語にすれば、ギャラリー フェニックスです。フェニックスは不死鳥、または、鳳凰とも言います。
この不死鳥をデザインし、彫り、金で施してもらったのが、この写真の右から4つ目にある水晶です。ガレリアフェニーツェのブランドデザインとして、アクセサリーに組み込んでいます。
私は、10年近く油絵制作活動から離れていた時期がありました。ついに身体が不調になり、1ヶ月に何度もの口内炎に見舞われ、油絵が描きたい描きたい病におかされました。もうこれ以上我慢できない💢と、月二回だけ絵を描きにカルチャーセンターに通い始めました。社会人時代に知り合った画家がそこで先生をしていて約10年ぶりに不思議な再会となったのです。カルチャーだけでなく、その先生ご自宅での教えにも師事することになったのです!(まあ、そちらは月に一回行ければよい方でしたが、、、)
カルチャーで1ヶ月にたった2回数時間の自分だけの時間を持つことができるようになると、口内炎はピタリと止まり心も元気に復活!
この時、心を押さえつけた生活が身体の機能低下に直結していること、絵画制作や色を扱うことが、免疫を高め不調を回復させることを知る体験となりました。それこそ、カラーセラピーです!
その後数年を経て、1998年からプロ画家活動を開始しました。初出展で地方展の最高賞受賞し、他に3年間でいくつか受賞し、それから東京の公募団体に出展し、一般で入選、翌年には会友、更に会員となり毎年大きな絵を制作していました。
公募展に初入選した作品が、私の知らない所で一人歩きを始め、東京在住の有名な美術評論家の先生が、私のその絵の写真を大きくコピーし講演会で紹介?解説?したそうなんです。
それがきっかけで、師匠の活動とは違う私独自の美術の道となった、国内外展出展や、世界の販売会(アートフェア)での販売、中国でも三年程画廊で販売したりしてました。その間、自宅や出先で絵画教室を開いてました。
そして個展活動へとスタイルを変え、カルチャーセンターでもいくつか教室を持ちました。
スゴい勢いの活動の最中に、Galleria Fenice(ガレリア フェニーツェ)という自分のギャラリーを作り起業し、今年の11月に7年目に突入したのです。
この間、昔むかしから好きだったベネチアングラスや天然石としっかり繋がり、オリジナルなアクセサリーデザインをして、ネックレスやブレスレット、イアリング他の制作も始めました。
様々な美術表現が私流で、一つだけの技法にこだわらず制作しているのが他の画家達と違うところです。
個展を見たお客様や画廊のオーナーさんや美術に関わる方々には、三人展かと思った、とか同じ人が全て制作したとは思わなかった、、、と驚かれたり。一つに絞ればいいのに、しぼりなさい、等と言われる事が多かったです。
ですが、私は美術を、あらゆる面から様々な素材や技法を使って表現したいので、誰にどんな非難や苦言を呈されても、これが私だからと変わらない制作活動をしています。
何人かの先輩画家の先生方には、TAKAKOだからそれでいい、、、と応援されてます。一人の先輩画家からは、一体TAKAKOはどこに飛んで行っちゃうんだ?とも言われました😁違う先生には同等に扱ってもらえるようになり、先生最後の作品制作を手伝って欲しいと言われています。今年それをお手伝いする予定が、コロナや様々な状況で未だに実現していないのですが、もう少し落ち着いたら絶対やりたい仕事、生き甲斐、希望の一つになってます🎨
起業のきっかけになったのが、イタリア人のベネチアングラス作家と、六芒星のデザインがされた水晶との出会いでした。
プロの人しか買い付けの出来ない天然石店に紹介したいから行こうと、知り合いから誘われ続けた2年も経った春。ようやく行く気になり、。初めて訪ねたそこで六芒星の水晶を見つけたのです。
オーナー夫妻が若い頃からお二人で海外を歩き見極めて集めてきた天然石のお店で、ものすごい在庫数でパワームンムンの棚から吸い寄せられるように見つけた水晶でした。私が買い付けるときに選ぶ石達を見て、オーナーは毎回「あれまあ!見つかっちゃったね。この石。よく見つけたね😲」と驚くのです。
石と関わるときには直感がすごく働き、吸い寄せられ、パワーをもらうので汗だくだくです。石には不思議なパワーがあるので、それを皆様に知ってもらい癒しや助けに使ってもらいたいです。
このノートの投稿をしている白鳥了さんが仙台六芒星の発見者で、この水晶を白鳥さんにお土産に渡した事から起業への道へ進むことになったのです。
東日本大震災を体験し、生かされた私。これからこの命どう生きるのか?なぜ生かされたのか?悩んだり考え込んだりもしました。せっかくの命、自分だけのためでなく他の人の為、人類のため、世界平和、地球環境浄化のために生きていこうと気づかされてました。
仙台の歴史との関わりも震災後深くなってきていた頃の事でした。今振り返れば震災後から、すでに、伊達政宗公の長女五郎八姫様のご縁や助けが私に沢山入って来ていたのですね~。
六芒星水晶を手にしてから直ぐに姫様関係者に知り合いツアーに参加。参加者の中に姫様の菩提寺の和尚さんや、その時たまたま姫様のご霊廟の再建漆塗り作業中で、漆塗りの先生もいらっしゃいました。他にも姫様関係の濃い方も一緒でした、、、思えば不思議なメンバーでした。
ツアー後にご霊廟漆塗り作業をさせていただける事になり、毎日漆かぶれと戦いながら辞めずに完成まで働く事ができました。
漆との出会いも経て、その後漆作品制作へと私の技術は進化していきました。
これらが今の私が存在する事になったいきさつでした。長々お読み頂きありがとうございました(*´∀`)♪
たくさんの話があるので少しづつ綴って行きたいと思います。
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