2024/09/12
母親にあった。
発達障害の治療薬を貰うために、月1くらいで埼玉の病院に通い、実家による。
家族とは、愛おしく、虚しい。
家族と離れて一人暮らしをするようになってから、そう思うようになった。
私の人生の選択を振り返ると、そこにはいつも親がいた。私の過去の選択が一度でも、私だけの意思によって決められたことがあっただろうか。
私の人生の選択は、常に親の顔色によってやんわりと誘導されてきたように思う。
人生の岐路と言っても、こんなハタチの若造にとって、それはほとんど進学を意味するのだが、私の中学も、高校も、大学も決めたのは自分ではなく、親だった。
高校までは子どもだから仕方ないけれど、大学までも自分で選ばなかったことが、入学したあとになってずんと重く私にのしかかる。
大学は大変で、楽しい。だけれども、根底で空白の自己決定と強迫観念がとぐろを巻いている。
楽しさも、しんどさも、全部私が決めたからじゃない。
だからといって、逃げられる訳でも無い。
期待された道をナビが示している。ナビに抗って、道をはずれることもできる。だけど、できない。ナビの示す道のり以外は暗闇で、1歩外れることにそこはかとない恐怖がある。
それは、親との記憶だと思う。
道を気軽に外す人たちは目につくほどには周りにいて、危なっかしい彼らを羨ましく思う。
私はそんな自由人に憧れて、自由人の演技をして生きている。自由でロックなたかせ、というキャラクターは、私による私の二次創作だ。
内実、不自由で暴力的な安全圏を手放す勇気もなく、先に自由を手に入れた「アイドル」に憧れて、私は理想の私を演じることしかできない。
私の演じる私はただの「ガワ」で、「魂」がないから、私は簡単に「設定」を忘れて「失言」する。
醜態を晒す本当の醜く、必死な自分がある時突然外に投げ出されて、ワッと泣き出す。
臆病だから。
私は全然ロックじゃない。
楽譜通りにしか演奏できない。
アドリブは大の苦手だ。
国境を越え、自分の意思で安全圏を抜ければ、今度こそ何か変わるだろうか。
留学したいだなんて、結局は薄っぺらい私の自己克服の物語でしかない。
だから、こんなことを思い出してしまうから、
私は志願書というのが嫌いなのだ。
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