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【映画】破壊の日

「利権と強欲という物の怪に取り憑かれた社会をお祓いしてやろう」

はじめに

 映画「破壊の日」は、GEZANというオルタナティブ・ロック・バンドの(Vo&Gt)マヒトゥ・ザ・ピーポーが初めて俳優として出演する作品。上映している映画館は数少なく、渋谷ユーロスペースを軸に期間限定で地方の映画館でも上映される。公開日は7月24日。東京オリンピック2020が始まるはずだった日。

「破壊の日」あらすじ
 7年前、田舎町の炭鉱の奥深くで見つかった怪物。その怪物が何なのかは不明のまま不穏な気配を残して時が過ぎる。
 7年後、村では疫病の噂が広がり、疑心暗鬼の中、心を病む者が増えていく。そんな中、修験道者の若者、賢一は生きたままミイラになりこの世を救うという究極の修行、即神仏になろうと行方不明になる、、、、、。
 そして、「物の怪に取り憑かれた世界を祓う」と賢一は目を覚ます。

 即身仏というと、見たことのない人が全国的にはほとんどだと思うし、知らない人の方が多いんじゃないかと思う。ただ、僕の住む山形県にはそんな即身仏を祭る神社がいくつかある。二つ隣の町にある神社が、一番近い即身仏を祭る神社だ。即身仏は、究極の修行なんていわれているが、たしかにその方法はまともじゃなく、特に木喰行という修行が強烈。穀物を断ち、木の実だけを食べて千日、三千日、はたまた五千日、山に篭って修行をする。その理由は、体を骨と皮だけにするため。腐らずに死ぬため。土に潜り、経を読みながら餓死するまでひたすら、ひたすらに祈り続ける。

 即身仏とは、生きたまま死ぬこと。または、死んでもなお生き続けること、祈り続けること。

この映画を観て

 最も印象的だったのは、真っ赤に染まったマヒトが、渋谷のスクランブル交差点で雄叫びをあげるシーン。

「未来はその血の池の向こうにある。」

 そんなイッセー尾形の一言のあとに現れたのが、おそらく血の池を超え、その未来に訪れたであろうマヒト。あの渋谷のスクランブル交差点で崩れ落ちるその姿は、自らの中にいる悪魔と対峙し、苦しみながらも、葛藤を繰り返しているようだった。

「何に怒っているのか?」

 怪物が現れたあの瞬間から、人類の破壊の日へのカウントダウンが始まった。疫病が蔓延し、少しずつ壊れていく人間たち。見えないものに怯え、苦しみ、叫ぶ。いっそのこと、誰かのせいであってくれた方が、気は楽になるのかもしれない。誰にも届かない悲痛の叫びが、その絶望を体現していた。

「物の怪はそこにいるよ。」

 真っ赤な姿で病院の屋上へ行く。そこには純白なワンピースを着た妹の姿があった。「物の怪はどこにいる?」「物の怪はそこにいるよ。」

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「変わる」

おわりに

 この映画は、良い映画なのか、面白い映画なのか、タメになる映画なのか、何なのか。
 答えは自らの中にしかない。そんな僕にとっては、今観るべき映画であり、観て良かった映画になった。エーイっ!疫病退散!


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