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ワープロが開いてくれた今

1978年9月26日、東芝が初めての日本語ワードプロセッサを発売した日、ということで、9月26日は「ワープロの日」だそうです。

私がこうしていま、このnoteを書いていられるのも、きっとワープロと出会ったからです。
上記の記事ともダブりますが、そのあたりの経緯を書いておきたいと思います。

ワープロとの出会い

私が最初に出会ったワープロは富士通 My OASYS II
1983年か84年のことです。

結構大きなワープロ本体をブックバンドで止めて肩から担いで笑顔をみせている高見山大五郎の姿を記憶している同世代の方も多いことと思います。
下記のリンクからカタログをみることができます。

上記のカタログも掲載されているのは、OASYS生みの親、神田泰典さんのサイトです。
他にもOASYSに関する資料がありますので、興味のある方はぜひ。

2023年3月22日追記
上記の神田泰典さんのサイトが閉鎖されてしまったようです。
残念ながら404エラーでてしまいます。
下記のブログ記事にカタログの画像がありましたので、リンクはっておきます。

閑話休題(それはさておき)

当時はまだ学生でした。東京で一人暮らしをしていたのですが、家業の家電店の仕事のために月に一回は実家へ。当時はまだ大宮までだった上越新幹線を利用。長岡で乗り換え、新潟県の西端の市まで、往復していました。家電小売店ですから、当然、ワープロなどに触れる機会は早くに訪れたのです。

手書きからワープロへの過渡期

学生ですから、当然、書くものも多くありました。学校とは別に、地元の仲間たちと同人誌を作ろうと画策し、上京している仲間たちとよく集まったりもしていました。

こちらは手書きの時。右手の横書きの文章の汚い字が私の字です。

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そんな時に出会った ワープロ、OASYSはまさに画期的な機械だったのです。文章を書くのが楽しくなります。鉛筆や万年筆ではがまんできず、汚くて読めない字になるのに、ワープロだとそんなことを気にせずに書くことができます。挿入も削除も、要するに編集がラクラクです。

そうして書き上げた文章を、印刷してだすと、なんだか作家にでもなった気分でした。プリンターは、24ドットx24ドットなので、カクカクとした文字でしたが、手書きの汚い文字ではなく、印刷された文字は美しく思えました。

ワープロで印刷したものを切り貼りして作っっていました。

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卒論は原稿用紙に貼り付けて提出

卒論は学校規定の原稿用紙にワープロで印字したものを貼り付けて提出しました。担当の先生が「ワープロでの卒論は初めてだ」と言っていました。

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念の為言っておきますと、卒論はちゃんと通りました。指導教官である須藤先生は優しいかたなので、評価Aを頂きました。が、内容的にはそんな価値がありません。申し訳なくて悲しいです。

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卒論は問題なかったのですが、結局、単位たりず卒業できませんでした。おそまつな話しです。

ワープロがあったからこそ今がある!

ほぼ、同じ時期にパソコンが登場してきていました。
シャープMZ-2000、NEC PCー6001などにも触れてきましたが、結局、パソコンを本格的に触るようになるまでには、まだ時間がかかりました。

その前に、ワープロという文系人間にとって福音ともいえる機械に出会い、「文章を書く」という行為から機械と触れ合えたのはラッキーだったと思います。

いきなりパソコンで、BASICプログラミング、って言う方へ行っていたら、すぐに投げ出して、機械アレルギーになっていたかも知れません。

こんな話を書いて、何かの役にたつのか甚だ疑問ではありますが、こんな時代があったことの記録として残しておきたいと思います。


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