山梨の地を再び踏みしめること ——『典座—TENZO—』と空族の一五年(初出:『キネマ旬報 2019年10月下旬号(1822) )

 『典座—TENZO—』は「選ぶ」ことをめぐる映画である。人は誰もが、自らがどのような土地、家庭に生まれるかを選ぶことはできない。しかし、やがては自らを取り巻く環境とどのように折り合いをつけて生きていくかを選択せざるをえない。本作の主人公である二人の若き僧侶、河口智賢と倉島隆行もまた、山梨と福島という土地で、この困難にそれぞれの方法で立ち向かっていく。

 たとえば、青山俊董老師との対話において智賢は、僧侶になることが定められた自らの境遇に反発したかつての経験について語る。当時彼の抱いた逡巡は、いとこである富田克也の長編第一作『雲の上』(〇三)の着想にも大きな影響を与えた。実際に現在の智賢が務める耕雲院で撮影された同作の主人公チケンは、出所して実家山梨の寺である紅雲院へと戻ってくる。彼は、それまで拒んでいた僧侶になるための修行に出ようと一度は決意するが、ヤクザから足を洗おうとする幼馴染シラスと再会することで、次第に彼の問題に巻き込まれていく。チケンとシラスは、ある道を選ぶことで他の道を選べなくなることへの不安を共有している。ヤクザとして生きる覚悟を持てないシラスは東京へ逃げようとし、シラスを助けようとヤクザの世界に足を突っ込んだチケンも、やがてドラッグによる逃避へと走る。親戚である智賢の状況をどこかで自らと重ねつつ富田は、中上健次や柳町光男が繰り返し取り上げてきた「土地」や「家」の呪縛と、そこから逃れようともがく「選べない」若者たちの苦悩に肉薄した。

 興味深いことに本作の青山老師は、この智賢の反発を一切否定せず、むしろ「結構ですね」と評している。「授かり」と「選び」を対置しつつ老師は、仏法を自ら選ばないで「授かっただけではありがたくない」のであり、いっぺんは反発した上で本気で求めること、そのための「改めて選ぶ」時期の意義を、自らが寺を離れた一五年の経験をもとに説く。檀家制度と世襲制度をいずれも国の政策に迎合したものとしてはっきりと批判する老師にとっては、仏法を単に「授かり」として受け入れるにとどまらず、自らの意思で「ゼロから選び直す」ことこそが重要だった。そして、この本質的に無根拠な決断を下すには、偶然の出会いや気付きのきっかけを粘り強く待ち受ける、待機の時間が必要不可欠であった。

 一度は拒んだ僧侶の道をいまや積極的に歩みつつある智賢は、自らにとっての転機がどこにあったかを尋ねる富田からの問いに対して、3.11東日本大震災の存在と息子のアレルギーを挙げている。震災やアレルギーもまた、被災地の住人や智賢の息子が自ら選んだ出来事や状況ではなく、同時になかったことにもできない問題であるという点において、生まれた「土地」や「家」と同様の困難を孕む。精進料理をめぐる彼の取り組みや、青年会の仲間と協力した「いのちの電話」の活動は、まずはこれら自分たちの生活と直結した問題を「授かり」として受け止めた上で「選んだ」反応であると言える。しかし、ではそこに「選び直し」の要素はどれほど含まれるのか。映画前半の智賢は、いのちの電話にかかってきた相談者の言葉をただ受動的に受け止めている。また精進料理教室に力を注ぐ一方で、家庭での料理を妻に任せ、注意不足から息子はアレルギー症状を発症し入院することとなる。やはりこの時点では、彼の活動は未だ「授かり」の領域にとどまっている。

 しかしながら、劇中の智賢は青山老師との対話を経て変化へ向けて歩みだす。曹洞宗において重要な六知事の一角を成す、本作のタイトルにもなっている典座とは、寺院における調理を司る役職を指す。久々に朝から自宅の台所に立って典座の教えの原点に立ち返った彼は、かつて七五〇年以上前に宗派の礎を築いた道元禅師の歩みをなぞって中国、天童寺へと旅立つ。自らの眼と体で道元禅師の命がけの修行の過程を追体験した彼は、中国の地を裸足で歩くことで、「悟りに近い感覚」を得たと考えて帰国する。一方で、自らの属する寺や家族を津波によって奪われ、今は瓦礫除去の作業員として福島県沿岸部に暮らす隆行もまた、「選び直す」覚悟には至らない日々を過ごしていた。本堂の再建を目指した資金援助の申し出をすげなく断られた彼は、痛飲し酔い潰れる。彼もまた、空族映画の多くの登場人物たちと同様に、出口のない生活の生臭さから逃れることはできないのだった。

 帰国した智賢は、兄弟子の隆行を訪ねて福島へと向かう。あの日津波を発生させた夜の海を眺めながら二人は語り合う。「自然の循環の一部」として自己を体感した中国での経験について嬉々として語る智賢に対し、その感覚に理解を示しつつも隆行は、眼を見開いてじっと智賢を見据えながら「でもお前それ、この福島で言えるか?」と問いかける。この空間をめぐる問いこそは、二人を、さらには富田や相澤虎之助ら空族の面々を、「選び直し」へと駆り立てる決定的な契機となったように思われる。

 再び海へと向き直った隆行の「他は是れ吾にあらず」という言葉に対して、智賢は「更に何れの時をか待たん」と応じる。本作のポスターにも掲げられたこの二つの言葉は、道元禅師が天童寺での修行中に出会った、ある典座との対話から生まれたものだ。強い日差しを浴びつつ、笠もかぶらずに懸命に椎茸を干す、68歳だという年老いた典座に禅師が「どうして行者やお手伝いの人にやらせないのですか」と尋ねると、彼は「他は是れ吾にあらず」と答える。他人は私ではない。人にやらせたらその人の修行にはなるが、「私が汗して自分の体を動かしてやらねば、私の修行にはならない」のだ。続けて「こんなに暑いときになさらなくても、もう少し別の時とか、何らかの方法はありませんか」と問われた典座は、「更に何れの時をか待たん」と返す。またという時があると思うか。一刻あとに死が待っているのかもしれない。無常の命を見据えたとき、たしかにあるのは「今」だけ。この「今」に命をかけよ。老師は『「典座教訓」講話』でこれらの言葉をそう解釈している。

 今、自分で命をかけて行為すること。このことは同時に、自らが日々生活する場とも当然無縁ではない。道元禅師はこの典座との出会いを経て、中国から日本に帰り自らの教えを伝えることを、青山老師もまた、15年の後に郷里愛知の寺へと戻り、そこで教えを広めることを「選び直した」。同様に再び別れた隆行と智賢もまたそれぞれの道を行く。隆行は福島の地ではじめて自ら、避けてきた「いのちの電話」活動を開始する。智賢もまた山梨へと戻り、「いのちの電話」の相手にはじめて能動的に働きかけようとするだろう。そこで再び、今度は故郷山梨の地を裸足で踏みしめようとする彼の姿は、自らの使命を「選び直そう」とする彼の力強い第一歩を静かに、だがはっきりと示している。

 さらにこの智賢の姿は間違いなく、老師や彼同様に『雲の上』から「15年」の時を経て、故郷山梨へと再び戻って来た富田ら空族による最新のマニフェストでもある。『国道20号線』(〇六)、『FURUSATO2009』(〇九)から『サウダーヂ』(一一)へ、「バビロン」シリーズから『バンコクナイツ』(一六)へ。振り返ればこれまでも空族映画は常に、綿密なリサーチを経た「選び直し」の軌跡を記録してきた。『バンコクナイツ』で二つの「ムアンサワン」の僅かながら決定的な差異を体感し、あたかも道元禅師や智賢のようにアジアの仏教諸国を経巡る修行の日々を終えた彼らが、再び裸足で山梨の地面を踏みしめる。その新たな「選び直し」の一歩からはじまるであろう次回作への期待は高まるばかりである。


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