大切なひとびとが恐怖にさらされた時、私には何ができるのだろうか

春の訪れも近い麗かな日差しの中で穏やかな朝を迎えた。
その頃遠い空の下で、命の危機を感じながら過ごしているひとびとがいるという事実は今に始まったことではない。
思想の違い、宗教の違い、さらなる力への欲望、それらは時に当たり前の生活より重要とされ、ただ毎日生きるという小さな幸せを求めるひとびとのそんなささいな願いさえ打ち砕いていく。

悲しみ怯えるひとびとのために、私は何ができるだろう。
そして、もし、自分の大切なひとびとがそんな恐怖にさらされたとき、私には何ができるだろう。
ただただ無事を祈って「今すぐ逃げて」と声を上げることしかできないかもしれない。
両親がいろんな思いを込めて建てた家も、父の眠る墓も、全て失ったとしても生きていることを願うことしかない無力さに胸が苦しくなる。

そして、私自身がそんな恐怖にさらされたとき、いったい何ができるだろう。

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