Jリーグ外国籍選手列伝[浦和の想い出]
完全に乗り遅れている。
かれこれ電車や新幹線は数知れず、夜行バスに乗り遅れた時は救済措置が全くない(すでにバスが出発した)ことに絶望し、飛行機に乗り遅れたことも3回ある。成田でも羽田でもフルネームで空港内放送で催促され、秋田空港では空港目の前に到着したタイミングで乗るはずの最終便が加速度を上げてTakeOffしていった。
乗るしかないはずのビッグウェーブも海岸でストレッチしながら眺めるタイプの僕だからこれくらいの乗り遅れで特にどうってことはないんだが、何に乗り遅れたかと言えば、この件である。
今までにJリーグに在籍した外国籍選手を各チームサポーターが自分の想いを込めて語る企画(なの?)である。
何を隠そう熱狂的な福田正博(三菱自動車サッカー部)ファンから浦和レッズに入った菊永としては、日本リーグ2部に落ちた三菱(当時は重工業サッカー部)に福田が入って26試合で36得点という驚異的な成績を残し1部に復帰、からのJリーグ開幕創成期の地獄のような連敗街道を多感な時期にトボトボと歩き鋼のメンタルを獲得、ブッフバルトに夢を見て小野伸二の獲得で見えた光ある未来がフィリピンで散りJ2に落ち、土橋のスーパーミドルに吠えてJ1に復帰。そこからの流れは多くの方が知るところだろうが、僕の視線はいまだに埼玉スタジアム2002の上空に浮かんだ福田正博のスパイクを見つめたままである。
メッシが抜くまでバルサの歴代最多得点者だったパウリノ・アルカンタラ(357試合で357得点)よりもハイペースで得点を重ね、福田正博が45歳まで現役を続けていればこの記録も抜いていただろうし永井雄一郎も武藤雄樹も9番は付けれず、興梠慎三に抜かれることなど未来永劫なかったであろう。
あれ? 福田正博列伝でいいんでしたっけ?
ダメですって自分の中のリトル菊永が言い出したので、ここからちゃんと外国籍選手の話をしたいと思います。ちなみに、以下からはこのnoteのために改めて公式記録などを確認することは一切せずに、記録ゼロ、記憶オンリーのポエムみたいなもんであることを先に記しておく。
トリビソンノ
本名は忘れたが、とにかく開幕前の期待値がめちゃくちゃ高く、当時マラドーナくらいしか知らなかった自分がこの目で見た人生初のアルゼンチン人がトリビソンノだった。(次はディアス)
Jリーグ開幕前のプレシーズンでお披露目されるやいなや、対戦チームのFWをバンバン止めてコーチ・監督が頭を抱えるという状況に当時のレッズ監督の故・森孝慈は日に焼けた彫りの深い顔でほくそ笑んだことだろう。開幕までの短期間で全てバレるとも知らずに。(涙)
開幕後はトリビソンノがあの長髪をなびかせながら自陣ゴールに向かって走る姿を何度も見た気がしますがよく覚えていません。
エドウィン・ウエハラ
日系3世ペルー人である。もうその時点で多感な時期の菊永少年の期待値は「めっちゃ上手そう!!」と期待していたが、トリビソンノ、フェレイラ、モラレスのアルゼンチン人トリオが先発を飾り、常にベンチにいた印象がある。左ウィングで交代出場することもあったが、我が福田正博と共に前線で孤立することも多く、比較的長く在籍していたが存在感はそれほどなかった。
その後、細木数子の指示も無いのに上原エドウィンに改名するが目立った活躍はできず移籍していった。元気にしてるかな。(実際は外国籍選手の出場人数制限の問題もあり日本国籍を取得したっていう話)
フェレイラとモラレス
すまん、セット販売だ。スーパーファミコンのプライムゴールで先発に名を連ねているがパラメータも中途半端で足も速いわけでもなく、アルゼンチン特有のまったりパス回しから一気にスピードを突くようなタイプで、当時ゴリゴリに押し負けていた浦和レッズが唯一取れる戦術だったカウンターには全くハマらず、双方合意のもと帰国したと記憶している。
ウーベ・ラーン
なんとなく、アルゼンチン(南米)ってJリーグに合わないんじゃね? (マリノスのディアスに歯ぎしりしながら)って思い始めた頃にやってきたヨーロッパ、しかもドイツの選手。なんか得点王経験もあるらしいぞ! ってワクワクしていた気持ちがもろくも崩れ去った訳だが、いくらディフェンスを立て直さないといけないからってセンターバックで出場させるのはどうなのよ。って今なら強く問いたいところ。
ルボミール・ルホビー [ルル]
最初はルボミール・ルボビー・ルルまでが本名だと思っていたけど、後にルボミール・ルボビーが本名でルルがあだ名だと知る。同時期に入ってきたミロと共に日本に馴染みやすそうな名前だなと思った。
ヨーロッパの強豪国ではなく東欧でチェコスロバキアって国に関する知識もそれほどない学生時代だったので、なんとなくスラっとした白人だなぁくらいの印象だったが、当時ボロボロだったチーム状況でシーズン10点弱と思った以上に点を取っていた記憶がある。
ミロスラフ・メンテル [ミロ]
ルルと一緒に来た初の外国籍ゴールキーパーであるミロさん。どっちも栄養あったり風邪に効きそうだったり期待していたけど、僕らの低い期待通りの活躍を見せてくれて、Jリーグの中位が見えてきた感じがある。土田も田北も好きだけど、色々とな、あれがあれだから。
ミヒャエル・ルムメニゲ
小さいころからミヒャエル・エンデの本を読んでいた自分にとって人生2人目のミヒャエルがルンメニゲだった。じゃない方のルンメニゲとか言っている人は誰ですか? この頃は漫画でJリーグが取り上げられることも多くて、その中でもルムメニゲは「お馬の子、そこのけそこのけルムメニゲ!」っていうキーワードが一部で炸裂してた。ちなみに各雑誌や新聞でもルムメニゲ、ルンメニゲと表記がゆれており、これは現在に至るまで解決していない。福田正博とのコンビは個人的に希望の光を見ていた。
おでこがチャーミング。
ウーベ・バイン
浦和のオフェンシブ髭男dism!ことナイス髭で掘りの深いバインさん。屋台のくじ引きよろしく「これ当たり入ってないんじゃね?」と憤り始めた浦和サポの中でも初めて当たりを感じた選手。髭以外はまったく派手じゃないのに地味にいいパスをどんどん出してくれて、我らが福田正博にボールが集まりガシガシ点を取ってくれた素晴らしい時代だった。
ただ、「このチーム福田にパス出す以外に勝つ方法無くね?」ってバインさんが気付いたんじゃないだろうか。。。と思い返す日もあるけど、酒を飲んで寝ることにしている。
曺貴裁(チョウ・キジェ)
ご存知ベルマーレ平塚のとにかく走らせる鬼軍曹。チョウさん。当時からディフェンスラインから中盤の全てを縦横無尽に走りまくり、鬼のような形相で叫んでいたチョウさん。在日朝鮮人らしいんだけど、当時から韓国も朝鮮もメンタルはハンパないって感じた理由の人。ガンバの賈秀全は中国人だったんだけど、当時はあんまりよく分かってなかった。日本以外の東アジアはメンタルが鬼。
ギド・ブッフバルト
はい来たレジェンド。大黒柱。ディフェンスラインの安定ってこういう事なんだ。。。と感動すら覚えたパイセン。ワールドカップ優勝メンバーは伊達じゃない。形容する言葉の全てが陳腐に感じるけど、とにかく恩人です。一生ドイツには足を向けて寝られない。引退した後もいい選手を紹介してくれたり、監督として返ってきた時には初のリーグ優勝も達成してくれて、この恩を死ぬまでにギドに返せる日は来るのだろうか。。。と悩むくらいには大好きな選手。
僕らにとって白馬の王子様は永遠にギドです。
バジール・ボリ
日本よ、これが黒人だ。っていうくらい、人生で初めて見た本当の黒人だった。サンコンさんもウィッキーさんもブラウンだったんだ。今だと完全に色々と問題発言になるけど、当時は「フランス人なのに」と感じたのも強く残っている。ボリのおかげで移民とかルーツが他国にあるとか、ヨーロッパの人種の多様さとか植民地とか色々なことを勉強するキッカケになった人。
サッカーでは真ん中にブッフバルト、右サイドのボリが入ったディフェンスラインは鉄壁で、相手には分かりやすく左サイドを狙われまくったけど、それはしょうがないよね。
腰の位置がめちゃくちゃ高かったシルブプレ。
ニールセン
いた気がするけどよく覚えていないんだ。。。ドイツスタイルが浸透してきた浦和レッズで、ドイツのお隣のデンマークだし代表選手だしいけるんじゃね? みたいな理由なのか、半年間でお帰りになられました。
最後に
とてもじゃないが現在までの外国籍選手は書けない。。。と思って96年くらいで終わらせてもらうが、また機会があれば続きを書いてみたい。
今思うと、当時はどういう理由で外国籍選手を呼んでいたのかサッパリ知らなかった。少なくともサッカーダイジェストやスポーツ新聞、テレビ番組でも紹介されず、深い情報っていうのは何もなかったと思う。
だからこそポップにサッカーを楽しむための情報や漫画が増えていったと思うし、グラビアアイドルがユニフォームを着て雑誌の表紙になったりもしていたんだと思う。
実際、日本のチームも何の知見も無い中、手探り状態で移籍の交渉を進めていったと思うけど、願わくば「あの時あの選手を呼ぶのにこんな物語があった」みたいなインタビューを是非やってみたい。
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