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多摩地名の由来 千人町

 JR中央線西八王子駅の北側、中央線の線路から南浅川までの一体が千人町です。この地名は当地に八王子千人同心の屋敷があったことに由来します。
 「八王子千人同心」とは徳川家康の江戸入府とともに設置された幕府の職制です。甲州街道の西側からの攻撃に備え、江戸の守りを固めるために設置されましたが、のちに甲斐が天領となったこともあり、家康を祀る日光東照宮の火の番を勤めるようになり、こちらの役割のほうが有名です。江戸時代末期になると、外国からの脅威にさらされる蝦夷地に集団で入植、防衛と開拓を担い現在の苫小牧市の基礎を築きました。栃木県日光市、北海道苫小牧市はともに、八王子市の姉妹都市となっています。
 千人町は当初、同心が500名だったことから五百人町と呼ばれていたといわれます。この命名方法は、江戸の街の警護を担当した鉄砲百人組の屋敷があったことからその名がついた新宿区の百人町と同じです。
 国道20号線の追分町交差点付近に「八王子千人同心屋敷跡」の碑がありますが、交差点名からもわかるように、実はここは追分町。同心の屋敷はこの付近から西側へと広がっていたのです。その他、地名にちなむものとしては、西八王子の風物詩になった「踊れ西八夏まつり」では地元から阿波踊りに「八王子千人連」が参加、駅近くの和菓子の老舗、旭苑には銘菓「八王子千人町」があります。                        (『よみうりSunTAMArea』2010年7月号)

 

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