落ち葉を避けても

どんなに善良でも、皆が「彼、彼女は優しい人だ」というかと言われればそうであるときの方が少ないだろう。まるで落ち葉を避けて歩かれるように。

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イチョウが綺麗な道を毎日歩いている。
地面のコンクリートが見えなくなるほど敷き詰められた黄色は、秋という季節を彷彿とさせるものの代名詞だろう。けれど少し、少しだけ人が歩いたあとのように真っ直ぐコンクリートが広がってる。よく人が通る場所だからその事実にも頷けるものだ。もちろんその道にそって私も歩いている。これが少し楽しい。
けれど1枚1枚を必ず毎回踏まずに歩くことができない。
少なくともこっちに引っ越してきてから2年経つがあの道のコンクリートを綺麗に歩けた試しはない。一般的には綺麗なのだろうけど、私自身の思う「綺麗」とはかけ離れている。
右。左。散りばめられた星たちは大抵避けられるものの、コンクリートのすぐ側で薄暗く光っている「それら」だけは避けられない。
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「あの人いい人だよね、優しくて誰よりも率先して前を行くから」なんて言われる人がいたとして。
果たして100人が100人とも同じ意見を持つだろうか。
1人は羨み、また1人は妬み、そういった感情を持つ人間も当たり前にいる。善でも悪でもない。ただ答えとして決められていない。この世界に答えなどない。ないから私たちは一個体でいられている。所謂個性というものが存在している。もしこの世界に答えが存在するなら、きっと私たちは生まれた時から同じことしか言えないロボットそのものだっただろう。答えがないから個性という概念が生まれ、人々は人を愛し哀しみ憂い嫌うものだと思っている。
イチョウは痛いのか。

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