ダウン?

二日目からはフジオ社長の自宅に宿泊することになりました。

それはチノ郊外の丘陵地の南斜面にありベッドルームに射し込む朝の光がたまらなく気持ち良かったのを覚えてます。リビングの暖炉の上にはさり気なくライフル銃(本物?)が置いてあり、『おっ!さすがアメリカ。』と思ったものでした。シャワー浴びて寝るだけに帰る感じでしたがベッドで寝れるだけでも天国でした。

ジィスポーザーを知ったのもこのときが初めてで、時々台所から凄い音が聞こえるので『なんですか?』とたずねると、生ゴミをそのまま排水口に流すと直後に粉砕機(ジィスポーザー)があって粉々に砕いてそのまま流すことができるんだ。と。へ〜凄い!とその時思ったものでしたが日本での普及はなかなか進みませんでしたね。この頃やっとかな。


それから、USヨシムラのトイレが2畳から3畳くらいの広さがあり中で座ったら絶対ドアに手が届かない広さでした。毎回ドキドキで用をたしてました(笑)。なぜこんなに広いのか尋ねたら、トイレの中で車椅子が方向転換できる広さが規則で決められてる!と教えてくれました。なんか納得できる答えで関心したものでした。


そんなこんなで体調が下り坂の中頑張りましたが遂にダウンして一日休ませてもらう状況になり家で一日寝込んで体力の回復 に務めることになりました。


次の日には回復し再びマシンセットアップとダイナモ作業を開始し、トラック部隊の先行隊を送りだした日以降もギリギリまでダイナモ作業を社長と進めそのエンジンを手荷物として持って一緒にデイトナに向かいました。

2回目の飛行機搭乗です(笑)。デルタ航空にいくらオーバーチャージを取られたかは知りません(笑)


この時代のDAYTONAWEEKはロードレースの世界の開幕戦みたいな意味合いがありGPライダーの参加も多く華やな感じでした。

毎年プログラムの表紙にはその年オリジナルの刺繍のワッペンが付いていて先輩に買ってきて貰うのが楽しみでしたが今年は自分で買うことができるので楽しさ倍増です。


さあ、次からはいよいDAYTONA INTERNATIONAL SPEEDWAY編です。


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