見出し画像

46

46

 2023年4月6日、46歳になった。年齢をまたひとつ刻んだ。『45歳』という名の最低な1年に強引に区切りをつけ、『46歳』という名の再起を期す1年が始まった。その始まりを友人がささやかに祝ってくれた。

 2022年6月から2023年3月4日までの僕は、生きて46回目の誕生日を迎えることができようとは想像できていなかった。45歳と数か月か、45歳と11か月で人生の幕を下ろすのだろう、と諦念に駆られていたからだ。『45歳』という名の1年を生きていた当時の僕自身は、それほど明日以降に対するキャンセルを手に入れようとしていた。

当時の僕自身を俯瞰的に立って振り返ると、ただのナルシストと断罪することが可能であるだろうし、単に呼吸しているだけの塊肉の人形と表現することも可能だろう。生きているようで死んでいて、死んでいるようで生きていたような曖昧な存在だったと思う。

 それでは『46歳』という名の1年を生き始めた僕はどのような存在なのかと思うと、社会的には保護されている立場にあるものの、しかし、生きているようで死んでいて、死んでいるようで生きているというような曖昧な存在からは脱却し、死に対する意識を忘却の海に投げ捨てて生きようとしている存在であるだろうし、この先もそうでありたい。少なくとも、今の僕には明日に対するキャンセルを手に入れるための動機や理由は持っていない。他者から明日に対するキャンセルを強いられることがあるかもしれないが、ただ重ねて言うが、僕から明日以降に対するキャンセルを手に入れるための動機や理由はない。

 まだ『46歳』という名の1年が始まったばかりなのになんて大言壮語の物言いなんだ、と読まれた方の中の誰かからは嘲笑されるかもしれないが、前段は読む人を意識しながら、その一方で僕自身に言い聞かせるように書いた。誰かの利益になる記事を書くのがブログの役割ならば、その役割に反する記事だと考えながら、そう書いた。

 ただの数字の偶然だが。誕生日と年齢が重なった。4月6日と46歳。46。これはただの偶然だ。そんな蛇足的な一文を書きつつ、同じ質でもう一文。僕の父親は40歳で亡くなった。僕は年齢では父親よりも6年も年齢を重ねたことになる。6歳下の父親は想像しがたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?