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塔を撮らなくなった

 最近塔を撮らなくなった。空を撮らなくなった。
 撮っていることを意識し始めてから約2年間撮り続けた。
 家や公園から見える電波塔を撮り、出先で見つけた送電塔を撮った。
 ずっと捉われていたモチーフがいつの間にか手からこぼれ落ちていた。

 そもそも1つのモチーフを何度も何度も撮り続けたのは、昔大学にいらっしゃったある写真家の一言がきっかけだった。
 当時私は今ほど熱心に写真を撮っていたわけではなかったが、撮っているものや構図、光の入り方など、つまり写真全体が昨年から成長していないのではないかと感じていた。

 ある設計課題の講評の次週に彼はいらっしゃった。
 模型写真の撮り方を教えに来てくださったのだと記憶しているが、そのことはあまり覚えておらず、懇親会で話しかけに行って相談をしたことばかり覚えている。
 そのときに彼に言われたことが今でも脳裏に焼き付いている。

「1つのモチーフを飽きるまで撮り続けなさい」

 彼はそう言って自分のインスタグラムを見せてくれた。
 自分の靴と地面を撮り続けていた。
 旅、そこにいる自分、その場の雰囲気、そういったものが表れうまく形になっているが、習作としてはかなり魅力的で言葉にならない良さがあった。

 確かに同じものを撮り続ければその分モチーフを理解し、光や構図などをよりこだわれるようになる。それに一度モチーフが見つかってしまえばあとはそれを撮り続けるだけでよい。
 そう思った私は彼の言葉に倣い、撮るべきモチーフを探した。
 外壁や地面、金網、ストリートなど色々撮ってみた。しかしいまいちしっくりこない。結局これというものを見つけられないまま、思い立ったときに撮るといった撮り方をしていた。

 空を撮り始めた当時、私はある強い感情に捉われていた。そのときの私の日常がその色で染まり切っていた。
 鬱屈として単調で、でも波立ち泡が立って溢れかえっているような日常から逃げるべく、空を撮り始めた。
 空は現実からどこまでも乖離していて、しかし常に距離を保ち、それを捉えることで逃避していたのだと思っている。
 この頃から空の鮮やかな青が苦手になった。雲ひとつない鮮やかな青が眩しくて、怖くなり始めた。それでモノをフレームのなかに入れ始めた。その筆頭が塔である。
 塔を撮っているのか、塔を免罪符として空を撮っているのかわからなくなった。
 あまり気力はなかったので近所で撮れる空を写した。画角はほぼ固定し、何度もイメージセンサーに焼き付けた。
 塔を写しているようで移り変わる空を写している、図と地の反転だ、などとわかりやすい理論によって説明づけてみたりはしたが、いまいちしっくりこなかった。人口に膾炙した理論を使えば一応説明をつけることは可能だし捉えやすくはなるが、自分のなかの強いものがそういった言葉によって乗っ取られ、希薄になっていくように感じた。

 どうせならと思い、どうしてこれを撮りたいと思うのか、その写真は何を写しているのかの言語化もした。
 特に本に頼るわけでもなく、ひたすらに撮り続け、貧弱な頭を捻った。
 他人の意見をもとに構成された理論ではなく、自分で考え続けたことによって理論を作り上げたことによってさらに愛着が湧いた。それらの断片的に言語化された言葉を用いて自分の言葉を作った(その後たまたま手にとった本にその言葉が書かれていて膝から崩れ落ちた)。
 これによって建築外の視点ができた。建築だけを学んでいるようでは身に付かないものが多少身についたのではないかと思う。建築以外の表現方法ができたというのも良い点である。

 以前とあるフォトギャラリーにお邪魔して、オーナーさんと出展者の方と数時間お話させていただいた。近現代の写真家の話や展覧会の話、写真とは何かという話など色々話せたが、改めて自分の視野の狭さを実感した。建築だけをやっていたところで得れる知見、経験はあくまで「建築」由来のものなのであると。他のジャンルを学んでみれば建築では見られない試みをしている人が山ほどいる。「建築はデザインだから」とアートの世界を見ようとしないのは勿体ない。

 話を戻そう。
 写真界隈では有名な「鏡と窓」という言葉がある。1978年にMoMAでジョン・シャーコフスキーがキュレーションした展覧会のタイトルである。
 彼は選ばれた作品を「鏡派」と「窓派」に分類した。「鏡派」とは鏡のように、自分の内面を映し出すような、自己表現の手段として写真を用いる写真家、「窓派」は窓から外を覗くように、写真を通して外界を探究する写真家のことを指す。
 写真とは「窓」としての性質を主に考える人が多いと思うが、写そうとすれば感情や自己表現は写るのである。
 これに倣うと塔や空を撮り始めた当初の写真はあまりにも「鏡」の写真であった。生々しいほどに内面が現れ、正直人に見せられるようなものではないと思った。他人から見れば何ということのない写真かもしれないが、私からすると強く感情が揺さぶられる。

 あの一言に勇気づけられ性懲りもなく塔や空を撮り続けていたわけだが、今ではもうあまり塔を撮ることはなくなった。
 2年という月日を経て私のなかで上手く消化しきれたということだろうか。

 あれらの写真が私に及ぼした影響は大きい。
 最近は別のモチーフを色々と撮っている。構図やレタッチ、考えていることの反映は上手くなっているような気はするが、私にとってあの写真群ほど心を動かすものはもう撮れる気がしない。

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