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「原敬首相の願い、日本国民の願い」ノート

原敬さんは、「初の本格的政党内閣」を樹立したことがスゴイと言われているが、その、どこがスゴイのか
→それは、原敬内閣の成立は、国民の願いと政治家の願いが合致して、「大正デモクラシー」の花を開かせた、というところがスゴイことで、近代日本の快挙と言っていい
そもそも
政治で大事なのは、「願い」
 
国民の願いと政治家の願いの相互作用で、国民と政治家それぞれの運命は決まる
 
・日本では、結構、国民の願いが積極的に示され、結構、政治家がそれを尊重する政治が、戦前に発達していた
→劣化すると人気優先の「ポピュリズム」に
・明治、大正の政治家たちは、「治国」「経世済民」の難問に対して、江戸時代の漢学の素養と近代西洋の学問を総動員して答えを出そうとした
 
以下、1.と2.で、
原敬さんの首相就任が、どのような、国民の願い、政治家の願いによって実現したのか、
その背景から見てみる
 
1.原敬首相就任の背景
 
(1)シベリア出兵と米騒動
・陸軍がシベリア出兵に前のめり、原敬は強く反対、本野一郎外相がフライングで辞任、世論は慎重論が主流←欧州大戦への厭戦気分が蔓延していた
・シベリア出兵決定で米価暴騰→米騒動
 
(2)第一次世界大戦末期
・1918.9.29原内閣成立、同年11.11第一次世界大戦終結
・3つの帝国が滅亡(オーストリア、ロシア、ドイツ)
・明治日本政府が手本(伊藤博文の大日本帝国憲法)としたドイツ・プロシアが敗北
→軍国主義より民主主義(ドイツ・プロシア型よりイギリス型)という教訓
・ソ連の誕生=社会主義国家の誕生
 →世界中で社会主義思想に追い風
・総力戦―国民による、軍事的、経済的、精神的参加=「総動員体制」が必要に→国民のありようが、国にとってより重要に
・国際連盟の誕生―近代兵器によるけた違いの犠牲者→不戦の追求
 
(3)スペイン風邪
・原敬は10月下旬に罹(り)患
・日本では、患者数2,380万人、死者39万人
・世界全体で5億人感染、5,000万~1億人死亡
・1919年4月パリ講和会議でウィルソン、ロイド=ジョージ、クレマンソーが罹患→対独融和的だったウィルソンの症状が特に重く、主張が弱まり、講和条約の対独賠償請求が厳しくなった→ナチス台頭の遠因?
・もとはアメリカから始まって、ヨーロッパ、アジアと広がったパンデミック
=グローバル化:世界大戦とセットで、地球が一つの運命共同体になった
 
以上(1)~(3)で、①世界戦略、②民主主義の体制、③国民生活重視の政策、が政府、政党、政治家に問われるようになった
―それに政治が応えてほしいというのが国民の願い
では、政治の側の状況はどうだったか、
 
2.なぜ原敬が首相に選ばれたのか
 
(1) 元老支配の限界
・誰が首相になるか―まず、薩長藩閥のリーダー、やがて、元老の指名
 ⇔しかし、人材はそれほど豊富ではない
―原敬前の首相は10人で、再登板が目立つ
・例外的な隈板内閣(4カ月)
・藩閥系のニューリーダー桂と、政友会・西園寺―桂園時代
 ―政党の力無視できず
・桂も政党を基盤にしようとする(立憲同志会)しかし世論(強い反藩閥、反元老)は桂=元老山県支配と見て、反桂の第一次護憲運動で桂退陣=大正政変
・薩摩出身海軍の山本内閣→シーメンス事件(海軍汚職事件)
・苦し紛れの大隈内閣(政党政治のイメージ+山県系官僚、同志会、中正会の尾崎行雄という非政友会内閣)→政策面と選挙汚職で行き詰まる
・寺内(山県子飼い、長州・陸軍)内閣―世論の批判、「是々非々」の原・政友会に接近…政友会に支えられてなんとか→シベリア出兵と米騒動で行き詰まり
・山県の観念―原しかいない
 
(2)政党の役割が「政権への支持」から「政権の担当」に
・国会開設当初―自由民権運動の流れをくむ「民党」は反政府、政党=野党
・板垣の自由党+大隈の立憲改進党→進歩党=合同して憲政党
→伊藤博文の策略的な政権移譲→4か月で崩壊 
*星亨ら旧自由党系による憲政党純化路線、外された旧進歩党系は憲政本党を名乗る→純化して、立憲政友会として成功する道に
*おそらく、合同憲政党では政権担当能力がつかないまま、政党が政府支持勢力として利用され続けた恐れ―ドイツ・プロイセン型の政府と議会の関係
**星亨(江戸の左官屋の子)―原敬の先駆者:政策通で、政局にも強い
 国会開設前に風前の灯火だった自由党を支え続ける 「自由の灯」発行
 政権担当能力のある政党作りを目指す *英学→英国で弁護士資格取得
・伊藤博文が旧自由党系の憲政党と組んで、立憲政友会結党→第4次伊藤内閣、原敬幹事長―伊藤系官僚が幅を利かせ、藩閥色が強い内閣が政友会に支えられた形
・桂・日露戦争内閣→講和に国民が反発→西園寺内閣に禅譲(桂の影響力は残る)―「大人の対応」
・第2次桂内閣
・第2次西園寺内閣→第3次桂内閣で大正政変
・桂園時代に力をつけた政友会、原敬(内務大臣、政友会ナンバーツー)
*その後、政党内閣を避けようと四苦八苦する山県―山本、大隈、寺内内閣
・日本初の本格的政党内閣、原内閣成立
 
というわけで1918年、①世界戦略、②民主主義の体制、③国民生活重視の政策、に応えられる政治として成立したのが、原敬・政友会内閣。
その政策と政治(政治姿勢)を具体的に見てみたい
 
3.原敬の政策
 
(1)四大政策:教育振興、交通インフラ整備、国防充実、産業貿易振興
・原内閣最初の議会で「四大政綱」
①教育 私学を専門学校から大学に
―慶応、早稲田、明治、法政、中央、日本、国学院、同志社
    官立学校増 高等学校10、実業専門学校17、専門学校2
②交通インフラ―鉄道 狭軌か広軌かvs後藤新平
③国防 一次大戦→総力戦体制、航空部隊…時間をかけて、バランスよく
    陸相・田中義一(長州・陸軍)の理解と支持
 *間を取り持った小泉策太郎(幸徳秋水の親友、史伝作家、原後の活躍)
④産業貿易 地方経済振興(内需拡大)
→植民地に頼らない→国際協調→貿易振興
      それを支える交通インフラ、教育、バランスの良い国防
―これが国民の願いでもあった
 
(2)積極主義=地域振興、内需拡大
・政友会のスローガン「積極主義」は、積極財政で、地域振興と内需拡大
・若いころから地方視察が好き:新聞記者時代に東日本、若手官僚時代(外務省から太政官御用掛の官報担当、官報に関わる調査の名目で民情視察)に西日本、藻谷浩介的情熱→日本が好き、日本国民が好き、ということ
・1920「国勢調査」
 
(3)積極主義と国際協調主義
・積極主義は、植民地に頼らない経済成長路線 ∴国際協調主義とセット
 *鉄道の「広軌」は植民地主義と親和性
・対朝鮮:一次大戦で三一運動1919.3.1、荒れる朝鮮半島
→斎藤実総督の文化政治⇔それまでの武断政治
・対中国:一次大戦中の対華二十一か条要求に反対、対中融和、権益を有する欧米諸国との協調
・対米協調 1908米欧旅行―初めてのアメリカ ワシントン会議への積極姿勢
・皇太子(昭和天皇)訪欧⇔天皇、皇太子は日本から出るべきでないという伝統的発想
 
―当時、国際協調が国民の願い 第一次世界大戦のえん戦気分、シベリア出兵にも消極的、国際連盟設立という国際秩序の変化
⇔しかし、積極主義は政治腐敗が疑われ(我田引鉄)、国際協調主義は右派が反発
*積極主義vs緊縮主義、国際協調主義vs対外強硬主義が、戦前の日本政治の対立軸
―国際協調=平和主義を唱える保守政治家、保守政党というものがありえる、あった
 
(4)社会政策
・1920、内務省に社会局、農商務省に労働課
・1921、借地法、借家法、住宅組合法、職業紹介所法の成立
・台頭する左派勢力からは物足りなさ―普選問題と合わさって強い批判に
・原敬内閣時代(1918~1921)にようやく形になってきた日本の労働運動
*日本の第一回メーデー1920
**1919大日本労働総同盟友愛会→1921日本労働総同盟に改称
この分野は、同時代の欧米に比べ、国民の側も政治家の側も未発達
 
―原敬の願いと国民の願いの関係について、政策面を見てきたが、政治手法の面を見てみたい
 
4.原敬の政治(政治手法)
 
(1) イギリス型議院内閣制を目指す
・選挙で第一党となった政党が与党となり、その党首が首相となり、内閣を組織する
 それは↓
(2) 政党政治の確立=元老がいなくても首相を決められる仕組み
・脱元老=脱藩閥 国民が納得する首相任命の根拠→衆院選の結果
 *乱闘や違反はあっても、選挙の結果は尊重する日本
⇔選挙結果を否定する専制政治
 *乱闘や違反も最初は無く、第2回で政府が仕掛けた
・機能する政党組織を形成
―今日の自由民主党も踏襲している、政策調査会、総務委員会、総裁
 
(3) 天皇、貴族、軍、官僚
・大正天皇に親しまれ、皇太子(昭和天皇)に信頼される原敬
・貴族院の最大会派、研究会が味方に←山県に反発する公家・大名華族、特に若手、徳川家と旧譜代大名
・田中義一陸相のバランス感覚―国民感情を考慮して無理な軍拡を主張しない
・政友会系官僚の成長―入党し、衆議院議員になる者も
―以前は民党と対立していた体制側を、政党につないでいく
→イギリス型立憲君主制
 
(4)民主化~選挙の大切さ
〇普選問題への漸進的対応 *山県有朋は恐怖―革命の可能性
・1919選挙法改正:納税要件を10円から3円に引き下げ→有権者数約2倍に
・野党・憲政会と国民党は2円を主張
・1920 野党が「男子普通選挙法案」を提出→有権者数は10倍に
*野党の姿勢は筋の通らない所がある
・→普選法案を争点に解散総選挙、新聞各紙による攻撃、普選論者による批判
・政友会の大勝→原敬、政友会には強権批判
〇原敬の選挙
・1902盛岡市選挙区(有権者316人)175対95(相手は清岡前市長)
・実業交話会と政談演説会の「演説速記」を印刷配布
・国際情勢、立憲政治の発展、地方産業の発展、国民及び国会議員の心構え、を述べる 
・個別具体的な利益誘導の話はしない、むしろ地域の発展のためには自立心が必要と説く
・「原さん」の呼称が定着 大臣経験者なのに
・選挙後の有志大懇親会で演説:「国家の公事を諸君に訴へなければならぬ、決して一地方の利害を諸君に訴ふべき場合ではないから、政見発表に関しては、私はこの地方に限った問題は一言も申して居らぬのである」
・政友会の選挙を仕切る際も、利益誘導的な主張を戒める
 *党人派で、原敬と並ぶ政友会ツートップの松田正久も同様
・政党リーダーとしての選挙対策―:政策の組み立て、演説会、他党と調整、各地方の陣営まとめ、経済界への働きかけ
・1915大隈選挙で政友会大敗 政友会不人気、大隈の車窓演説「であるんであるんである」、レコード、大浦内相の選挙干渉・買収(のちにばれて大浦辞任、大隈退陣に)―原敬はやらない手法
 
原敬内閣発足は、国民の願いと政治家の願いが一致して、共に成し遂げた、
大正デモクラシーの花、近代日本の快挙
 
―明治維新の完成でもある
明治維新には、薩長藩閥による、賊軍蔑視、有司専制があったが、原敬内閣でそれが克服されて、民主化として明治維新が成功したことになる
 
→岩手県公式ホームページ>インターネット知事室>知事発言・知事講話
 >知事講話>平成30年度部課長研修 知事講話
「明治維新は岩手で始まり岩手県人が完成させた」
 1818年:相馬大作の開塾、1868年:明治維新、1918年:原敬内閣成立
 
しかし、3年後、東京駅遭難の悲劇。なぜそうなったか、国民と政治の側の相互作用を見ていきます
 
5.原敬と日本国民
―日本におけるポピュリズム…その問題と可能性の分析
 
(1)「平民宰相」人気と強権批判
・「平民宰相」ブーム 大衆食堂が「平民食堂」を名乗る
・新渡戸稲造「平民道」1919.5.1『実業の日本』:「平民同は武士道の延長」
・右から(進歩的すぎる)と左から(既得権益温存)の批判 例:普選論
・「弾圧的」、「専制的」などのレッテル―政治的に強いこと自体が批判の対象に
―憲政会の永井柳太郎「西にレーニン、東に原敬」
・議会が与野党対立で泥沼化、政治不信に
*1912西園寺内閣、総選挙で政友会大勝、早稲田系の政治青年、立憲青年党の原攻撃「原敬を政界より葬るべし」「原敬は明智光秀なり」傲慢、空威張り、幇間(太鼓持ち)等々、空想もまじえた攻撃 
―清水唯一朗(ゆいちろう)「彼らが批判したかったのは原の持つ権力であった」
・低い身分からのし上がったイメージの政治家に対しては、強権批判が激化しやすい日本社会の傾向―薩長藩閥、星亨、原敬、田中角栄、小沢一郎
 
右派からの批判があり、左派からの批判があり、強権批判があり、普選運動が盛り上がる中で、国鉄勤務の一青年が凶行に及んだ
 
右派も、左派も、強権批判者も、普選論者も、「原敬首相を暗殺すべし」と主張していたわけではなく、その意味で、凶行は決して民意に基づくものではない
 
政策論的な批判は、普選問題も含め、調整の余地はあり、原敬存命なら、進捗していただろう
 
「国民の願い」=「民意」+「国民感情」
 
・原敬批判の民意が調整されないまま、
・「怒り」の国民感情が膨らみ、
・強権批判の論理が火に油を注ぎ、
・貧困や格差に対する国民の不満が一緒になって、
・対立する政治勢力やマスコミも原敬に罵詈雑言を浴びせ、
・原敬への悪口を口にする人々が増える中で、
・件(くだん)の一青年が決意し断行した
というのが東京駅遭難の経緯では
 
・民意は暴走しなかったかもしれないが、国民感情は暴走していた
・それを受けて、対立する政治勢力やマスコミは悪乗りした
・その悪乗りが、国民感情をさらに暴走させた
―その象徴が「西にレーニン、東に原敬」という、打倒原イメージの暴走
 
凶行後、それは広く悲劇として受け止められ、新聞論調は悲嘆、反省
→国民感情は沈静化して、普選論など政策論的な民意が、未調整のまま残った
 
日本型ポピュリズムが招いた悲劇としての原敬東京駅遭難をさらに深く理解するため、
原敬以前、原敬以降に視野を広げて、民意と政治の関係を見てみる
 
―というのは、日本では昔から民意というものが強かったし、尊重されていた、という点が重要だから
 
(2) 民意を意識する政治、民意が動かしてきた政治
・明治維新 幕府側も倒幕側も「天下の公論」を意識、各陣営が世論対策を重視
・「五か条の御誓文」 「万機公論に決すべし」(第1条)、「人心をしてうまざらしめんことを要す」(第3条)
→公論主義、民心を飽きさせない 「飽きさせない」というところに民意+国民感情にも配慮する姿勢
 
・国会開設 ドイツ=プロシア型のつもりが、イギリス型に引き寄せられていく
 ―選挙結果重視、民意尊重
・伊藤博文の政党重視、桂太郎も政党重視―藩閥専制、元老支配という世評を嫌う
・日露戦争講和に対する世論の反発を受けて、政権交代する知恵
・元老も、次期首相を決めるのに世論を意識 ∴山県もついに原敬を認める
・軍も世論を意識―一次大戦後の軍予算抑制
 
*軍国主義化が進む昭和においても、軍部は国民感情に敏感
**東条英機の総力戦リーダー像 「人情宰相」ゴミ捨て場視察
 
では、なぜ、軍国主義化して、第二次大戦に突入したか?
→それを願った国民、それに応えた政治―国民感情の暴走
 
―原敬没後、10年で満州事変、20年で真珠湾攻撃
 
1929世界恐慌
→経済的行き詰まりを満州(日本の生命線)獲得で打破 一種の満州ブーム
 
1931満州事変―石原莞爾の決断、板垣征四郎の承認、近代インフラを活用した電撃戦
―その後、欧米列強は日本の満州権益を黙認、日中関係も様々な取り決めで安定、陸軍は対ソ戦準備優先の考え、中国ナショナリズムが高まるにつれ反日が強まる
―中国の反日に打撃を、日満経済圏を日満支経済圏に、という願いはあった
 
1937日中戦争―やらなくてよかった戦争
―北支駐留日本軍の暴走、全面戦争化を招いた米内海相(新潮新書『決定版 日中戦争』)
*ライシャワー「1937年が第2次世界大戦の始まり」
→米英の中国支援(武器供与)に対する反発、ナチスドイツの躍進という「バスに乗り遅れるな」、大東亜共栄圏樹立
 
1941太平洋戦争―中国からの撤兵を決断できなかったゆえの開戦
 
国民の、経済的不満、反中感情→それを一発で解消する冒険を希求
民意に応えるように、カギになる立場にいる個人の意志、能力、決断、行動が歴史を動かす
個人は、政治家、軍人、一般人(市井の人)…そして、暗殺者(刺客)も
―司馬遷『史記』には「刺客列伝」がある
 
個人の願いは民意を形成する要素でもあり、その辺をさらに探るために、
近代日本の「願い」の形成を、「学ぶ」と「楽しむ」の2側面からたどってみる
 
(3) 近代を学ぶ日本国民
・軍人も官僚も、国立の学校・大学で養成
・明治初期のリーダーたちは自己流で学んだ
 ―漢籍の素養「論語」「孟子」「戦国策」「史記」「十八史略」
 ―語学でチャンスをつかむ
…伊藤:イギリスに密航、神戸事件の処理
…大隈:長崎で英学、藩の長崎担当、新政府の税関担当
…山県:欧州留学、新設兵部省で木戸孝允の信頼を得る
…陸奥:勝海舟の海軍操練所、海援隊、外国事務局御用係
…星:英学、陸奥宗光・神奈川県令の推挙で通訳、横浜税関長
…岡崎邦輔(陸奥宗光の腹心から、星、原敬の腹心に―戦前最強の黒子)
:陸奥のいとこ、同郷、陸奥駐米大使に付いて渡米、ミシガン大学
…原敬:フランス人神父の教会、中江兆民の仏学塾、新聞社から外務省御用掛
・原敬―できたばかりの司法省法学校に入学but放校処分
 寺尾亨(司法省法学校→帝国大学法科大学教)「原が学校を出されたのは、本人にとって幸福であった。あのまま大人しくしていれば、せいぜい出世しても司法大臣がオチでしたろう」―自己流でよかった
・私学の実業教育
・地方にも憲法私案を作れる「知の拠点」
 
明治維新を成し遂げたのは、塾や道場による「学びのネットワーク」
 →「学びによる近代化」という日本近代化の特徴
  ―「学び」で「願い」が形成され、「学び」で「願い」を達成する
→質が高く、強力な「民意」が形成される背景であり、民意を受けて歴史を動かす「個人」が出てくる背景でもある
 
一方、江戸時代以来の日本の強みは、「学び」だけではなく「楽しみ」(エンタメ)も
 
(4) 近代を楽しむ日本国民
・文明開化→大正時代に花開く大衆文化「大正ロマン」
・浅草「凌雲閣」、映画、演劇、浅草オペラ、白樺派、平塚らいてう『青鞜』
・柳原白蓮の「世紀の恋」(九州の炭鉱王と離縁して東大生、社会運動家に走る)
・モボ、モガ、大衆消費社会、「今日は帝劇、明日は三越」、月給取り(ホワイトカラー・サラリーマン)、「職業婦人」、童話・童謡誌『赤い鳥』―こども文化
 
・江戸時代の庶民文化は世界最高水準 
―人形浄瑠璃、歌舞伎、落語、小唄、読本、浮世絵、瓦版
→洋化を加えて、さらに発展  
*地方(農村、山村、漁村)の貧困は並行して存在
 **宮沢賢治の盛中卒が1914(大3)、妹トシが亡くなるのが1922
 
・政治を娯楽の一種として楽しむ風潮
―オッペケペー節「権利、幸福、嫌いな人に、自由湯をば飲ましたい、オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポーポー」by川上音二郎
―新聞の、週刊誌的記事、風刺絵、風刺漫画
―大隈重信の「であるんであるんである」演説、レコード化
―寺内正毅首相「ビリケン宰相」非立憲
―原敬も、政友会の重鎮になるころから、面白おかしく報じられる向き、論じられる向きあり
 
大正デモクラシーと大正ロマン(大衆文化)はセット
=民意(政治的意志)と国民感情はセット
→日本型ポピュリズムの問題と可能性がある
 
(5) 現代の政治と日本国民
 
原敬内閣成立時と似ている現在
 
(1)シベリア出兵と米騒動(2)第一次世界大戦末期(3)スペイン風邪
に対応して、
(1)ウクライナ戦争と円安・物価高騰(2)冷戦体制か新世界秩序か(3)コロナ禍
 
求められるのは、
①世界戦略、②民主主義の体制、③国民生活重視の政策
有効なのは、
積極主義と国際協調主義では
 
現代における積極主義
・積極的な財政出動で、円安をもたらす金融緩和だけに頼らない景気対策
・地方が主役になるような、内需拡大型の経済政策
・必要なインフラ、効果的なインフラを整備
 *円安は外国のものを買うには不利なので、米国から兵器をたくさん買うべき時期ではない
・「民力休養」が優先…防衛力より福祉や地域振興を優先すべき
 
そして国際協調主義
・軍拡競争ではなく、むしろ軍縮にとりくむべき
 ―北朝鮮…トランプ大統領がやろうとした、朝鮮戦争の「終戦」
―中国…尖閣周辺の海上警察行動を、相互に減らそうという交渉をすれば
・近隣国とは協調を基本とし、相互の経済的利益を追求
―外国への反発、特に近隣国に対する反発は、国を亡ぼす
*日清日露の戦争のころは、敵ながらあっぱれという感覚があった。有識者(勝海舟)が、交戦国の将(丁汝昌)をほめたりしていた
*仮に、どこかの国と戦争することになったとしても、憎しみに目がくらんでいては勝てる戦にも勝てなくなる。また、終戦後、友好関係に戻れなくなる。
 ←日清戦争後の清国官僚の日本留学、日露戦争後の日露協商
―国家間関係、民族間関係は、冷静さが第一
・中国との関係は、国家安全保障に関係する度合いが高い分野と低い分野の間でグラデーションをつけるのが現実的…米中は、半導体産業で対立しても、映画産業では一体化している(レジェンダリーのゴジラの例)
・NATOや日米安保条約のような「集団的自衛権」から、国連中心の「集団安全保障」へ…冷戦体制から新国際秩序(ブッシュ父・大統領の湾岸危機・戦争対応が典型)へ
*キッシンジャーがNATO拡大に反対
*アフリカ諸国が冷戦型の東西対決には距離という姿勢
*100年前、第一次世界大戦後も、同盟(三国同盟vs三国協商)による安全保障から国際連盟による集団安全保障へという構造変化
 
日本型ポピュリズムの現在
・かまってくれる(よくテレビに出てきて、国民にたくさんしゃべってくれる)政治家を支持する傾向―飽きさせない、楽しませてくれる、という意味では伝統的―いわゆるポピュリズム、人気の政治
・政治家を見る国民と、自分を見てくれる国民を見る政治家
→政治家はキャラとして消費の対象となり、政治はエンタメの一部になる
政治家はそのような人気を喜び、人気を求める
・政治家も国民も、国民の生活や経済・社会を見なくなり、現実から目をそらす→キャラはいても政策は不在の政治
 
ポピュリズムの問題克服(国民感情主導から、民意(政治的意志)主導に)のために
〇現代の政治に足りないのは、日本国民に対する愛
・愛国ならぬ愛国民、愛民が必要
・政治家や政党は、もっと国民のことをよく見て、状況を把握して、それについて語るべき 自分について語るのは、その後。
 
〇国民に必要なのも、国民に対する愛
・政治家や政党への愛は二の次、政治家や政党を見るのも二の次
・まず、同じ国民の現状を見るべき―どこで、どんな人が、どのように生活し、どのように働き、何で困っているか( or何で成功しているか)
*ハードル高いと思うかもしれないが、それが「国民主権」ということ
*主権者は、民を愛し、民のかまどを心配するもの
*天皇陛下が、依然としてやってくださっているが、本当は、国民の役割
・国民が、まなざしを国民に注ぎ、見るべきところを見ていれば、しかるべき政治家や政党と、視線が重なり、ああ同じものを見て、同じことを考えているな、となってくる。そこで、この政治家を支持するとか、この政党を支持するとかいう段階に進んでいく。
⇔国民の側が、まず国民を愛し、国民を見て、状況を把握する、ということをせずに、政治家や政党のほうだけ見ていると、それはタレントを見てエンタメとして時を過ごし、政治を消費するということになってしまう
 ―国民感情あって民意(政治的意志)なし、の状態
・(国際協調も大事だが)国内にも不用意に敵を作るな―課題解決本位の姿勢でいれば、味方は多ければ多いほど良いし、今味方じゃない人にも味方になってほしいとなる
―ネットで、政治的な悪口ばかり書き込んでいる人たちは、政治家や政党をエンタメ気分で消費しているだけなのでは
 
今、国民が国民に対する愛を強め、国民の生活や国民の経済・社会状況に対する関心を高めていけば、国民は適切な「願い」を持つようになり、それと同じ「願い」を持つ政治家はだれか、ということも見えてくる。
 
その時、原敬さんのような政治家が、国民と共に、国民の願いをかなえていくようになるだろう。(終)

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