「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述6

"EXOにこだわる理由"

自分はオタクとなって趣味やイベントで不満をやり過ごせるほどのタフさを持ち合わせてはいませんでした。

自分はネトウヨになれるほど適切に「教育」もされてませんでした。あるアンチ反原発派のジャーナリストが元俳優の反原発活動家が国会議員に当選したことを「教育のない民主主義は無意味」という言葉で批判していました。「教育」がなってない自分は、

「てめえみたいなのが原発問題における日本有数の正論居士と遇される日本の言論状況を「国策への懐疑ない言論の自由の不幸」って表現すんだよ」

と毒づいてしまいました。自分が申し上げた「教育」とこのジャーナリストが言うところの「教育」は全く同じものです。自分はどうしても「原発事故とその後の関連する災禍は全て原発反対派のせい」という日本の政府と財界と学界と大手メディアと論壇の科学的知見と理性に基づいた公式見解に納得ができませんし、それをおかみ意識に則って嬉々として受容している大多数の日本人は白痴だと思います。また原発事故以降に一気に人口を膾炙した「この世で有害な放射能は東トルキスタンとチベットで膨大な健康被害を発生させた中共による核実験に由来するものしか存在しない」という新しい核物理学も自分は信用できませんでした。さらに「原発事故を起こした日本こそより安全な原発を作る直義的義務がある」というCSIS新聞もといジャパンハンドラーズ新聞もといポダム新聞もとい読売新聞が唱える論理が論理的だとは全く思えませんでした。自分はここまで「教育」がなっていない人間ですからネトウヨになることはできませんでした。

また「埒外の民」で「努力教信者」ではありませんでしたから、自殺を決行できるまで「自分を責める」こともできませんでした。

自分の罪の現在の日本の社会構造の中での意味は、システムがご下賜された負け組の3種類の身の処し方をどれも拒否したことだと思います。

誤解して頂きたくないのは、自分は決して社会を批判しているのではないということです。あくまで自分なりの社会の現状認識を示し、どうして自分がそれに適応できなかったのかを説明しているだけです。価値判断は一切しておりません。またこの事件について社会に責任転嫁する意図は逮捕前から断じて一切ありません。自分の事件について取り上げた某週刊誌の記事は「渡邊被告は、どうしても主張を社会に訴えたかったのだろう。自分を生んだのは社会だ。その社会のほうがよっぽど歪んでいる―――意見陳述には、そう書いてあるように読める」という文章で締められていました。冒頭意見陳述が誤解を招いた面はありますが、これは自分としてはとても心外なまとめられ方でした。

自分がこの場に着て来たTシャツは公式グッズかどうかは未確認ですが、自分が好きだったアイドルグループのEXOのものです。弁護士さんに頼んで自費で購入して拘置所に差し入れして頂きました。弁護士さんが用意して下さったネット通販サイトのプリントアウトを拘置所の面会室で見ながらどのTシャツにするか悩んだり、

「この宇宙っぽいデザインに意味あるの?」

「WOLFって何だ?」

などの弁護士さんからの質問に、

「黒歴史になりつつありますが、太陽系の外から地球にやって来たという設定があるんです」

「『WOLF』って曲があるんです。その曲を歌うときのコスチュームです」

などと答えている時が拘置所の住人になってから最も楽しい時間でした。

自分が逮捕の3ヶ月前にEXOを好きになった時には何かを好きになるたびに必ず感じていた内在化した両親が引き起こす心理的抵抗を全く感じませんでした。自分が人生で初めて一切のわだかまりもなく好きになれたものがEXOでした。自分が大顰蹙を買うことを承知の上でEXOについての文章をネット上に発表したのは、EXOペン(ファンのこと)であることを公言することにより内在化した両親を心から追い出したいと思ったからです。この場にTシャツを着て来たのも、そのような呪術的な意味合いがあります。

ネット上に「もっと早くEXOに出会っていたら今の人生違っただろうね」という反応がありましたが、これは冗談抜きでその通りです。EXOは自分にとって生まれて初めて劇的に効いたオタク化の薬でした。自分は逮捕直前に、

「もう喪服の死神は廃業してEXOペンとして生きて行こうか?」

と真剣に悩んだくらいです。事件を起こす前にEXOペンになっていれば「悪いことをして捕まったらEXOを追っかけられなくなるぞ!」というのが自分にとって強烈な脅し文句になっていた可能性が高いのです。

自分は拘置所の独居房で、

「自分が娑婆に出る頃にはミンソクがお勤めに行っちゃうな。鹿は嘆き悲しむだろうな。フンハン厨は「がっくりする鹿を慰めるおせふん」なんて設定で妄想しまくるんだろうな」と「おせふんはまぁいいや」とも思いつつ自分の立場を全くわきまえずに妄想しています。今でもEXOのことについてだけは自分が思っていたよりもずっと娑婆に未練があります。

以上が自分がEXOにこだわる理由です。

せっかくの機会ですので、世の中に対して真剣に申し上げたいことが幾つかございます。

昨今は虐待に関する学問的研究はかなり進んだと思います。またいじめに関するそれも同様だと思います。世の中には虐待といじめを同時に受けている子供も多いはずです。この2つが合わさると相互に作用して子供の心に与える悪影響は甚大なものになると思います。自分は寡聞にして虐待といじめの両方を受けた子供の状態についての学問的知見を聞いたことがありません。また虐待の専門家といじめの専門家の学際的交流もあまり聞いたことがありません。虐待死といじめ自殺は子供の2大死因です。是非ともこの2つの悲劇の関連性や相互作用についての学際的研究を進めて頂くことをお願いしたいと思います。

いじめについても申し上げます。いじめと申しますと学校でのいじめが話題の中心ですが塾でもいじめはあります。自分は小5から通わされた塾でいじめられて、それが自分の対人恐怖と対社会恐怖を決定的に悪化させてしまいました。自分は塾の講師の真似事をしたことがありますが、そこでもいじめを発見しました。いじめっ子にかなりきつい口調で注意したところ塾の校長から「注意の口調がきつ過ぎる」と厳重注意を受けてしまいました。塾でのいじめは社会がその存在を把握しているのかどうかすら怪しい情況です。是非ともしかるべき機関に実態を調査して頂くことをお願いしたいと思います。自分は10年以上が過ぎた今でも、いじめられていた子の表情が忘れられないのです。

虐待についても申し上げます。「虐待」という言葉は英語のabuseの訳語abuseの本来的な意味は「濫用・乱用」です。drug abuseは「薬物乱用」です。ですからchild abuseの正確な翻訳は「子供乱用」です。虐待の本質とは「両親が自身の欲望の充足のために子供を乱用する」ということです。自分は「虐待の本来の意味は乱用」という理解が社会に共有されることを切に望みます。この理解が社会に共有されないと、日本人が子供が死に至るまでの身体的虐待かネグレクトしか虐待として認識できない状態がいつまでも続きます。

あと「心理的ネグレクト」という虐待カテゴリーの存在を広く社会に認識して頂きたいと思います。通常のネグレクトとの違いを説明します。子供が病気になっても両親がそれに気がつかず病院に連れて行かないのがネグレクトなら、病院に連れては行くが全く心配をせず「大丈夫かい?」の一声もかけないのが心理的ネグレクトです。充分な食事を与えないのがネグレクトなら、食事を与えても餌を与えるかのように出し「美味しいかい?」の一声もかけないのが心理的ネグレクトです。

自分の小学校の卒業遠足はディズニーランドでしたが自分は参加していません。風邪をこじらせて寝込んでいたからです。母親は自分に「遠足の積立金がもったいない」と繰り返しましたが「遠足に行けなくて残念だったね」とは一言も言いませんでした。このようなことが乳幼児期から積み重なると「遠足が楽しい」という感情を持てなくなるのです。この頃の自分は既に認知が壊れていたので、熱でフラフラになりながらも遠足に行かずに済んだことを喜んでいました。

両親との心理的な交流がないと子供は何が好きで、何が美味しくて、何をガマンしないといけないのかが、よく分からないままに育ってしまいます。つまり自分の意志を持つことが困難になるのです。これが「心理的ネグレクト」です。これを受けた子供は原因を把握できないまま物凄い生きづらさを抱えることになってしまいます。

さらに申し上げれば「被虐うつ」の存在も広く社会に認識して頂きたい。「被虐うつ」とは虐待を経験した大人が罹患する特殊なうつ病です。症状が非定型的で、なおかつ薬があまり効きません。きっと自覚のないままに苦しんでいる方々は多いと思うのです。

虐待により子供の脳に器質的、機能的な変化が引き起こされることが脳科学の研究の発展により判明しつつあります。器質的変化とは脳の形や構造そのものの変化、機能的変化とは脳の働きの異常です。虐待を受けた子供は脳の脳梁、海馬、前頭前野、後頭葉などに異常を抱えてしまうのです。

もし両親からの虐待によるケガが原因で足に障害が残った子供が普通の子供と同じように走れなくても、そのことを責める人間は少ないと思います。しかし脳の障害は見えません。障害を抱えていても普通の子と同じようにできなければ周囲から責められます。これはとんでもない悲劇だと思います。

刑事裁判において虐待やいじめの話が出ると必ず「で、それが何?自分も虐待されたしいじめられたけど犯罪なぞしていない!そういう物言いこそ虐待経験者やいじめ被害者に対する最大の侮辱だ!」などと主張する虐待経験者や元いじめられっ子がぼっとん便所に涌いた蛆虫の如くヤフーコメントやミクシーに大量発生します。自分はこのような「自称」虐待経験者や「自称」元いじめられっ子に向けて申し上げているのではありません。大変な生きづらさを抱えているのにその原因を把握できずに苦しんでいる方々に申し上げているのです。自分も生きづらさの原因が全く分からなかったために、このような事態に至ってしまいました。自分はつい最近まで小学校時代の6年間が地獄だったとはあまり認識していませんでしたし、母親が子供にその容姿について罵倒することは、どんな親子でも普通にされる会話だと思っていました。子供時代の体験をずっと引きずったまま行動していた自覚もありませんでした。生きづらさからの回復はまず原因の把握からスタートするのです。

現在の日本の普通の人たちの多くも、正体不明の生きづらさを抱えているのではないかと思います。その原因は多くの人たちが無意識裡に抱える対人恐怖と対社会恐怖に由来すると思います。例えば溺れた人は水に恐怖を抱きます。電車の事故に巻き込まれた人は電車に乗れなくなります。道を歩いていて強盗に襲われた人は現場となった道を通れなくなります。この水や電車や道を人や社会と置き換えれば、人間が抱く対人恐怖や対社会恐怖の困難さを理解して頂けると思います。ましてや社会を覆う茫洋とした恐怖の解消方法など自分には見当もつきません。ただ国家の物語がやたら肯定的になっても、それによって自動的に各個人の自己物語が肯定的に書き換えられることはないとだけ断言できます。

「生きる力」とは何か?自分はここまで堕ちた人間ですから、それが何かがはっきりと分かります。それは根源的な「安心」です。「安心」があれば人間は意志を持てます。自分の意志があれば人間は前向きになれます。「安心」が欠如し、強い対人恐怖と対社会恐怖を抱き、肯定的な自己物語を持てない人間が「生きる力」がない人間です。

子供に「生きる力」を授けられるのは両親かそれに代わる養育者のみです。学校教育で子供に「生きる力」を身につけさせることは不可能です。学校は「生きる力」の源である「安心」を毀損する事故の多発地帯です。事故とはいじめや教師の理不尽な体罰です。学校にできることはこの「安心」を毀損する事故の防止や被害の拡大の阻止だけです。

自分が卒業した高校にアメリカ人の講師がいました。日本在留期間もそれなりに長いのに日本語はさっぱりでした。その講師は口を開けば”Don’t be shy!”(恥ずかしがるな!)と言っていました。ずっと萎縮しきった人生を送ってしまった結末として、この事件に至ってしまった自分と致しましては、日本中の前途ある少年たちに”Don’t shrink!”(萎縮するな!)と声を大にして申し上げたいです。萎縮していたら男子バスケ部にも入れませんしイケメンにもなれません。

自分のような汚物を製造した両親がどのような人間だったのかについても説明させて頂きます。

父親は九州の何もない山奥で生まれ、子供の頃からずっと食うや食わずの生活を送って大人になりました。父親はあまりにも田舎者でしたので、子供に最低限の衣食住を与えることと勉強を強制することと子供から遊びを取り上げること以外の子供への接し方を全く知りませんでした。父親の頭の中には「子供の幸せ」という概念は存在しませんでした。

母親は祖父母からネグレクトされて育ちました。母親は食事も満足に与えられない子供時代を送りました。母親からすれば食事を出し、病院に連れて行き、遠足の積立金をちゃんと支払えば、子供に対する親としての義務は完璧に果たしたということだったのでしょう。

母親は「子供の幸せ」には関心がありませんでした。母親が子供を育てた理由は祖父母への復讐でした。祖父は放蕩者で全く働かず、詐欺事件を起こして逮捕されたこともありました。祖母も子供を育てる当事者能力が欠如した人物でした。母親の祖父母への復讐とは「子供を祖父のような犯罪者にしなかった祖母とは違う立派な母親になる」ことでした。

母親は「犯罪は己の欲望をガマンできない祖父のような人間が起こす」と考えていたようでした。この理解は正しいです。犯罪の大多数を占める「欲望充足型犯罪」はこれで説明できます。母親は「子供が欲望を全く持たない人間になれば犯罪者には決してならない」と考えたようでした。そして欲望の源になる自己肯定感を子供が持たないようにすべく子供をしつけました。確かに自分は普通の犯罪である「欲望充足型犯罪」からは無縁の人間になりましたが、反転して「欲望欠如型犯罪」を起こしてしまいました。

母親の生き方を「ネグレクトされた娘による両親への復讐物語」として見れば理解はできます。しかし子供である自分を乱用するのはやめて欲しかったと思います。

自分には心配事があります。自分が自殺した後にちゃんと無縁仏になれるかどうかです。母親は自分が生きている間は自分を無視し続けるでしょう。しかし「息子が罪を犯しても骨をちゃんとお墓に入れた私は母親としての責任を全うした」という論理で祖父母への復讐物語を完結させたいと母親が考えているであろうことは、自分には手に取るように分かります。つまり母親が自分の骨を引き取りかねないのです。そうなると自分の骨は父親が眠る墓に押し込められることになります。これは自分の魂が両親によって永遠に幽閉されることを意味します。これだけは耐えられません。せめて死んでからくらいは自由でいたいのです。母親には、

「母親としての心が残っているのなら、せめて死んだ自分まで乱用するのはやめてくれ!」

と言いたいのです。

自分は両親から「生きる力」を授けてはもらえませんでした。そのせいで自分の意志を持つことができず負け組にすらなれませんでした。自分は全ての日本人から見下されてもいなければ、見えない手錠がはめられてもいませんでした。これが大いなる錯覚だったと気がついた時には、自分は留置所にいました。自分は全ての日本人から見下される存在に堕ちており、本物の手錠をはめられる立場になっていました。おかしな思い込みがなければ「ヒロフミ」ではなく渡邊博史として所与の条件下で全力で生きれたと思います。そして負け組くらいにはなれていたと思います。とても残念ですが、もうどうにもなりません。

自分は小学校で同じ学年だった広野くんという男の子のことを思いつつ、この長文を書いていました。広野くんとは同じクラスになったことがないどころか喋ったことすらありません。広野くんは小1の秋に骨肉腫に憑かれて、片足の膝から下を切断する手術を受けました。広野くんが登校できるのは月曜日だけでした。朝の会と1時間目の授業だけを受けると、広野くんは入院先の病院に戻って行きました。残された片足と松葉杖を突きながら必死で歩く広野くんの姿を涙なしに見れる人間は誰もいませんでした。広野くんは闘病も虚しく小3の6月に亡くなりました。校長先生は臨時の全校集会で「とても頑張り屋さんだった」と広野くんを悼みました。元気だった頃の広野くんを知っていた同級生の女の子は「とにかく足の早い子だった。それからとても明るくていい子だった」と泣きながら自分に言いました。広野くんの発病時に担任だった先生は「苦い薬も痛い注射もガマンしたのにねぇ…..」と言って絶句し、その後に嘆き悲しみました。小学校時代はずっとこの広野くんのことが自分の頭から離れませんでした。自分は本気で、

「広野くんではなくて自分が癌になればよかったのに」

とずっと思っていました。

広野くんが生きていればきっと社会の役に立てる人間になっていたと思います。自分も生き地獄だった6年間の小学校生活を送らずに済みましたし、優しいお医者さんや看護師さんに面倒を見てもらえて、心安らかに人生を終わりにすることができたでしょう。何よりこんな気持ち悪い事件も起きませんでした。

自分が出所後の自殺の予定について申し上げたところ、

「てめえは生きたくても生きられなかった人たちのことを考えたことがあるのか!」

との説諭を受けました。大便製造機でしかない自分がこの世からの退場を選ぶことが、どうして生きたくても生きられなかった人たちへの侮辱になるのかが自分にはさっぱり理解できませんでした。しばらく考えて、自分に「生きる力」が欠如していたせいで「広野くんの分まで自分が生きよう」と全く考えられなかったことを咎められたのだと理解しました。

逮捕されてからの自分はとても人に恵まれていました。刑事さんは「もし渡邊さんが出所後に自殺したという知らせを聞いたら心が痛みます」と言って下さいました。検事さんからは「事件の調書を見て一度ならず何度も思ったんだけどもったいないよね。地頭はいいと思うし、手口もバカにできない巧妙な内容だ。本当はもっと世の中の役に立てたんじゃないかな」とそれこそもったいない言葉を頂きました。留置担当官さんは「あなたのことは応援しているからね。必ずどこかにあなたのことを必要としてくれる人は絶対にいるからね」と言って下さいました。

もし許されるのでしたら、出所してから自分は広野くんのお墓に花を手向けたいのです。その後に刑事さんと検事さんと留置担当官さんからの言葉を冥土の土産に無意味かつ無駄だった自分の人生を終わりにしたいと思っています。

長くなりましたが、最後に今の率直な気持ちをシャウトさせて頂きます。

「ベッキョナ!サランヘヨ!(ベッキョン!愛してる!」」

日本中の前途ある少年たちが「安心」を源泉に「生きる力」を持って、自分の意志を持って、対人恐怖と対社会恐怖に囚われることなく、前向きに生きてくれることを願って終わりにしたいと思います。

今回は本当にありがとうございました。

2014年7月17日   通名 邊博史(ピョンバッサ)こと在日日本人 渡邊博史

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