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小川さんへ「君はなぜ総理大臣になれないのか」を観ました。

小川淳也さん、あなたのドキュメンタリーを今日の昼間に、ポレポレ(映画館)で観てきました。
Twitter であなたの動画を見たことがきっかけであなたに興味をもち、映画があると知り、映画を観に行ったわけですが、
嬉しいことに、裏切られず、最後まで面白く、驚きながら見ました。
あなたはとても鋭い感覚を持っていると思いました。そして、一言で言うなら「言葉の人」という印象です。
嘘なく、力強い言葉を発することが出来る人というのは、政治家に限らず、稀有な存在だと思います。
国会での信念を持った、何かを背負った真っ直ぐな主張、怒りは、お不動さん、不動明王がついているのではと思うような迫力、気迫があります。
僕が小川さんを思い浮かべる時、真っ先に思い浮かぶイメージはこの真っ直ぐ見つめ、気迫に満ちて訴えている顔です。
「言葉の人」としての、もう一つ側面は、言葉が嘘になっていないか、自分で自分をチェックするが為に、時に端切れが悪くなり、逡巡する面です。
「そこはもっとスッと答えてもよいのでは」というところでも、言葉と自分の魂の部分がズレていると、そこに自分で気づいて、その違和感自体と向き合いながら言葉を発しようとするので、時に端切れが悪くなってしまう。これは不器用で、見方によってはナイーブに映るかもしれない。しかし、それこそが、その自分の気持ち、自分の信念と乖離したところで、言葉が上滑りすることを良しとしないところ、絶対にそんなペラペラの言葉を使う政治家にはならん、というあなたの言葉に対する、忠誠こそが、あなたの言葉の嘘のなさを支えているのだと感じました。それは国民の為に言葉を発するという忠誠から来ているものだと感じます。
だからこそ、あなたは考え続け、自分に問い続け、自分自身の誰よりも厳しい批判者・批評者でありつづけ、その結果鍛えられた言葉、思考過程が、国会での力強い答弁につながるのだと思います。
あなたの政策方針を僕はまだ知りません。しかし、あなたが私利私欲とは全く別の所に軸足を置いて政治活動をしていることは感じ取ることができました。そして今、映画を振り返って見て、何よりも貴重で素晴らしいと思ったのは、32歳のあなたが49歳の現在に至るまでの17年間で、小川さんの顔は、ますます良くなっていることです。
政界に入り、皆不思議なほど、妖怪の様な形相になっていきます。
政治家にならずとも、歳を取ると、こべりついた常識や、価値観が、目の光を曇らせ、表情筋を固まらせ、不思議な程、おじさんの、妖怪のような顔になっていくもので、それが普通です。
小川さんはとても特殊な妖怪が跋扈する政界という、特殊な世界にいながら、顔はより良く、真っ直ぐ、強く、芯のある、それでいておおらかなものになってきているようにもお見受けしました。
あなたが総理大臣にならなくても、今政治家を辞めたとしても、それはそれで個人の人生と僕は思っています。
ただ、あなたの存在が多くの人に、希望を与えているのもまた間違いないと思います。僕は理想を真っ直ぐ語るあなたを知り、目や表情を知り、その天然記念物級の真っ直ぐさと、理想への信念に、映画を通じてかすかに触れ、とても爽やかで熱いものを頂きました。
僕も頑張っていきます。「日本改革原案」も読んで見たいと思います。しかし Amazonで、14,800円の値がついています。。
Kindle版も検討して欲しいです。Youtube での発信も楽しみにしています。
最後に。

とても良い、爽やかな熱いものをもらいました。ありがとうございました!

ここから下の文章について

映画をみて、感じたことをまとめておこうと、何も考えずに垂れ流しながら書いたわけだが、その途中に、やはり俺は小川さんに向けて「あなたは素晴らしい。政治家を辞めてもあなたの素晴らしさは何かを残した。少なくとも俺には何かが残った。ありがとう」と伝えたいと思い至り、手紙形式で書いてみたらうまく行った。ということでその様に手紙形式で書いたのが↑の文章。

以下↓はその前に書いていた雑感である。整理するのも辛い、しかし消してしまうと後から思い出せなくなる。ということでこのまま載せておく!
俺しか読まない文章かもしれないがそれが目的だからオッケイなのだ。

小川淳也という政治家を追ったドキュメンタリー。ポレポレ東中野で観てきた。この政治家を知ったのはTwitterでだった。
YoutubeのLive配信でリアルタイムに届く質問にしっかりと自分の言葉で答えていたのが印象的だった。
彼に興味を持ったのは、言葉がしっかりしているからだった。
修飾語でベタベタして中身がよく伝わってこない政治家的言い回しをするのが政治家。胡散臭い言葉遣いをするのが政治家というイメージだが、彼の言葉は強く、しっかりと伝わってくる。

このドキュメンタリー映画は、彼がまだ32歳の時に企画が始まったようで、32歳の時から現在の46歳の時までの密着取材映像で構成される。
眠くもならず、退屈にもならずだった。これは驚くべきことだ。特にこれと行った大きなインベントもないのに。僕は、日本の政治に無関心なよくある有権者のふつうの人なので、映画に出てくる過去の政治的なイベント(政党分裂、離脱、裏切りみたいな。。)の文脈を理解しておらず、記憶もしていないのでその分ドキュメンタリーの内容を深く味わうには不利なのだが、それでも退屈しなかった。

それはこの小川淳也という人の人間的魅力に尽きる。その魅力とは、天然記念物級の、愚直さ、素直さ、真っ直ぐさだ。
不器用であろう。自身もそれを自覚している。直球すぎる、小賢しくなれない、したたかになれない、と分かっている。自分にはそういう才能はないと。ただ、強い理想、国民のために自分を捧げるという強さだけにはブレない自信を持っており、その曇りのないことよ。

珍しい人がいるものだ。映画を見ながら小川淳也の貴重な天然記念物ぶりに引き込まれながら、どう育てたら、育ったらこのような人物になるのか親からのインタビュー証言、特に子供の頃のエピソード等をもっと拾ってほしかったと思った。

小川淳也自体にももちろん興味があるが、強く大きい理想を持つことが難しい、冷笑される時代に、なぜ小川淳也はこうなったのか、こうなっちゃったのか、という点にはもっと興味がある。

とにかく言葉が強く、胡散臭くないから惹きつけられ、映画をみようと思うに至ったのだが、そもそもドキュメンタリー映画の被写体として選ばれる強さを備えていたから監督も彼を撮ろうと思ったのだろう。映画を見た結果、やはり言葉だ、と思った。言葉がしっかりと伝わってくる。それは彼が自分の理想を妥協せずにキープしてきているからだし、政界で揉まれはしても、汚れては来ず、その曇りなき心から言葉を発しているからだと思う。

彼は総理大臣になれないかもしれないが、彼の存在が多くの人を勇気づけるだろう。強い理想を持ちすぎると、現実を見て絶望するので、理想を持つのは重い鉄アレイを引きずりながら歩いていくようなものだ。でも、じゃあいいや理想は捨てちゃおう、と現実に過剰適用して勝ち負けや富と名声のみにこだわるのも、カスカスの乾いた灰色のディストピアな未来が見え、それはそれで心が喜ばないのだ。そんな感じで理想を持つこと、語ることについてもうピュアではいられなくなっている時代に、ここまで直球で曇りなく、理想が大事と自分の中にしっかり何かを握っている存在というのは存在自体が天然記念物で、貴重で、僕は心がリフレッシュされた。
理想って大事だよね。。。とまた気持ちを新たに出来た。ありがとう。

人によっていろんなテーマを読み取ると思う。僕は3つぐらいのことについて考えた

* 理想をもつとは

* 一貫性(consistency, integrity)と"したたかさ"

不器用である、ウソはつけない。

* こんな政治活動やってて、未来はあるのか?

彼だけに限らないだろうが。。
街頭にたってマイク持って演説する。殆ど人はいなくても。
自転車に乗って「本人」と書いたたすきを掛け、地元を走って挨拶する。片手運転に切り替え、片手で挨拶する。僕はそれをみて、危ないなと思ったりもする。車も走ってるし。
車から名前を連呼する。中にいる協力者もジレンマを感じている。一瞬で通り過ぎる車では名前を連呼するぐらいしか出来ないし、政策を説明することも出来ない、そしてそれが近所迷惑、騒音公害であるという側面も理解している。正直僕はこの車でスピーカー大音量で走りまくる政治活動は禁止にして欲しいと思う。

総じて、このインターネット、テクノロジー発達がとめどない時代にこんな前時代的なスタイルでやってて未来はあるのかと思う。
志の高さ、磨き上げた政策、それを伝える言葉があっても、勝てなければ陽の目は見ない。
結局、大政党や、TV、新聞メディアを味方につけなければ、選挙に行かない人が選挙に行くようにならなければ、選挙の仕組みなどが、もっと便利に透明化され改善されなければ、既得権益が得をし続けるこれまでの現実がこれからも続くだけだ。
これは別に小川淳也の問題ではなく、メディアの問題だ。結局強い個人が頑張っても、別のものを取り上げて目立たせて、ムーブメントに仕立て上げる力をもった巨大メディアの前にはあまりにも無力に思える。そうではない、草の根で頑張るんだという人はいる。が、僕はそれを素直に信じられない。
そこで、今はTwitterや、Youtube等が出てきているので少し風穴が飽きそうな感じもある。コロナで自宅から配信するタレントなども増え、ますますYoutubeのメディアとしての存在感は増していく。小川淳也もTwitterもYoutubeもやっているがこっちの方で大きなムーブメントを起こしていって欲しいとも思う。
タレントでも、大学教授でも、一般人でも、地元の同級生でもいいが、ランダムに人を読んで 、1対1で長時間ディスカッションするようなフォーマットでやってみて欲しい。人柄が分かるし、政策の背景にある、社会状況、財政状況についても聞いていると勉強になりそうだし。アメリカでは、主要メディア(CNN/MSNBC/FOX等)とは別に、Youtubeに独立系のメディアが台頭してきている、ニュースも含め、潜在的にも顕在的にも最も影響があるであろうものが Joe RoganのPodcastだ。これは別にニュースメディアでも政治コメンタリーのチャンネルでもないけど、毎回2時間を超える長さで毎回変わるゲストと2人でいろんな事を話し合う。Twitterは短文にまとめるる事を強いられるメディアなので、文脈が欠落し、受け手の妄想作用と相まって揉め事に発展しやすいが、Joe Roganの長時間トークフォーマットのPodcastはこのTwitterの逆をやっているとも言える。そして人々が何で彼のPodcastに惹かれているかというと、少なくとも彼はウソをいったり、視聴者を操作(manipulate)しようとしてはいない、という点が信じられるからだ。聞いている多くの人と同じ、生活者としての人間が見えるからだ。主要ニュースメディアは多くの場合、時間の制限があり、政治ニュースの場合、誘導したい方向性があり、どんどん胡散臭くなっている。だからこそ、胡散臭くない会話、本物らしさに多くの人は惹かれているのだ。

日本でもその、本物らしさに惹かれる流れは来る(来ている?)と思う。小川淳也は政治と生活を紐付けて話せる人だと思う。政治を生活者の視点に引き寄せて語れると思う。だからこそYoutubeなどでいろんなタイプの人と長時間話し、彼の存在をもっと広めて行って欲しい。
だが、これは彼のお母さんのコメントでもある「啓蒙する大学教授とかのほうが、政治家よりも向いているかも」という発言の、"啓蒙"の方での活動だ。これってでも、啓蒙も、実行も、アナウンスも全て政治家には必要なんじゃないのと思う。したたかさや、器用さが無いけど、政治に興味のない人々に新メディアを通じてリーチすれば、そこから新しいムーブメントが起きるかもしれない。旧来の血管に頑張って血を流そうとする努力は無意味ではないが、先客が埋まっていて不利な戦いだ。僕は彼が総理大臣になることよりも、その力強くわかりやすい言葉で、もっと多くの人に語りかけて欲しい、届いて欲しいと思っている。。。と、このたらたらと考えていることを書き流しながら気づいたのだった。
全世界的に右傾政権が台頭している事を憂いているシーンもあった。そしてその様な状況は「戦争か革命」によって変わるのが通例とのこと。鋭いと思う。しかし戦争は嫌だ。革命?革命といっても色々ある。僕はメディア革命/改革に始まるソフトで暴力的でないものに可能性を夢想したい。なので、Youtube/Twitterのような既得権益の色があまりついていない様に(いまのところ)は見えるものからMovementを起こしていけないだろうか。Andrew Yang はHuman Centered Capitalizm(人間中心の資本主義社会)を掲げて政治活動を行っているが、彼がいなくても彼が火をつけた人々は自分でその運動の灯火を絶やさないように自律的に動き出している。一人で全てを背負う必要はない。重要なのはムーブメントとその伝播であって、誰か一人のヘッドが台頭することではないから。


↓ おかね。。。おかねをください。