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[英語] 英語OSをインストールするのだ。

日本語OSのとなりに、英語OSをインストールするのだ。

日本語OSの上にじゃないぞ。となりに設立するのだ、確立するのだ、建立するのだ。
ちなみにこのOSの例えは「ほんとうに頭がよくなる 世界最高の子ども英語」にも載っていた。

この本は以下の記事でも紹介した。

他の本では「英語脳」と言ってることもある。他にもいろいろな言い方はありそうだけど、重要なのは日本語とは分離・独立した部分で英語を処理する、というこの分離・独立のイメージだ。

知識としての英語。 納得したがる大人の脳

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文法やったり語彙増やそうと大人は頑張る。大人は分からないものが怖い。理解、納得できないものを放っておくことができず、いますぐ理解したがる。
分かるためには色々足りない。文法、単語、文構造の解析力が足りない。コロケーションも足りないぞ。
書店に溢れた日本語の解説本でそれらを補充し、準備万端になったらいつの日か試合に望むのだ。

しかし、いくらスノボの教本を読んでも初めての雪山ではどうにもならない様に、
いくらボクシング技術に詳しくなってもリングの上では全く通用しない様に、
実践に必要な筋肉は実践でしか育たない。
英語習得における実践とは、母語を介在させずに、英語のみで意味を交換しあう体験の事だ。

知識の積み上げ( Knowledge accumulation )と実践( Practice )は異なる。俺が望んでいる英語力にたどり着くのに足りないのは、知識じゃなくてPracticeだ、と40歳を超えてから気がついた。
「もう知識はええねん。俺はカイセツできる君になりたいんやない。エイゴできる君になりたいんや!」

ゴールイメージ。日本語OSのとなりに英語OS

日本語とは独立して英語を処理する英語OS。

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「りんご」と「apple」はどちらも「赤い丸い果物」という同じものを指している。だからって「りんご = apple」じゃない。
apple」と聴いて「赤い果物」のイメージを思い浮かべる事ができれば、理解しているのだ。
イメージとのリンクが重要であって「apple → りんご」という英語から日本語への橋渡し、翻訳は不要だ。
俺は翻訳能力は別に鍛えなくていい。英語を疲れずに、effortlessly に聞き・読み・話せる様になりたいのだ。
日本語に翻訳して理解・納得したがる大人の脳は中々厄介だ。
英語を英語で処理するOSを育てたいのに、「日本語で理解したい欲」を放っておくことが出来ない。
俺は、日本語を使う時にアクティブになる脳の部分を眠らせたまま英語を処理したいのだ。

どうやって英語OSを育てるか?

イーロン・マスクの Neuralink の製品が発展した先には、一発で脳に英語OSをにインストール出来るようになるかもしれないが、とりあえず今はクイックにやる方法はない。インストールというより、ジワジワと育っていくイメージが実際に近い。ではどうやって育てるか?

・単語分からなくても気にしない
・なるべく分かるやさしいものに触れる
・絵のヘルプがあれば日本語無しでも分かる
・モノリンガル辞書(英英)なら日本語介さずにすむ
・分からなくても、スッと流す。解決を先送りにする
・100%理解を目指さない。80%でもOK。好きなら10%でも楽しめる
・とにかく楽しんで、またやろうと思えるならOK
・悪いスピーカーでも音楽を楽しみ、曇った眼鏡でも景色を楽しむように

英語OSが自然に芽を出し、根を伸ばし、葉を広げようとするのを邪魔してはいけない。太陽や水や土を整える事に注力しよう。

・太陽 = 意欲・理想・目標
・水 = 理解できるインプット
・土 = 周囲の環境。周りの学習者や、各学習者が信じる勉強法
・根 = 体験の積み上げ。これまでの経験。実績。自信。
・葉 = カバー分野、応用範囲
・幹 = 文脈推測力、文法直感力(Grammatical Intuition)

↑は深く考えたものではなく、テキトーに考えた。
気に入ったので絵にしてみた。

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日本語からつかみいくな。期して待て。

本当は理解しているのに、何となく落ち着かないから日本語の意味を知りたくなり、翻訳すると安心する。
我慢するんだ。放置だ。英語の意味を日本語側からつかみにいく必要はない。その安心感は英語力の向上に寄与しない。それは翻訳だ。日本語脳を満足させてるだけだ。翻訳力は、翻訳力という別の能力だ。English language ability(competence)ではないのだ。

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この絵は、apple、sad、sky といった英単語を日本語の世界から手を伸ばして掴みにいっている。
日本語の世界から掴みにいって英語達を支えている状態だ。
これは脆い。風が吹くと飛んでしまう。
英語ネイティブに話しかけられた時に思考停止してしまう。
話す時も日本語で考えて、脳のCPUフル回転させつつ英語に変換する。
スピード遅い。どっと疲れる。出てくる英語もいびつだ。

英語同士が勝手に結びつき、ネットワークを形成すれば、話す時も状況に応じた自然な単語が出てくる。相手の話を聴く時も文脈に応じて適切な単語を予測・補完できる。しかも英語処理OSが勝手にやるので疲れない。

日本語から手を伸ばしたくなる気持ちをぐっと堪えて、英語同士が勝手に結びつきだすのを待つのだ。小さな芽を育てるのだ。ネイティブコンテンツのインプットを続け(水)、英語のまま理解する体験を積み重ね(根)、そうするうちに推測力・自然不自然の文法直感が育ち(幹)、理想の目標(太陽)にたどり着くのだ。そして出来る分野(葉)を広げるのだ。

俺の現在地。6歳の師匠

2021年4月12日現在の俺のリスニング能力を書いておく。完全自己申告だけど。
JRE(Joe Rogan Experience)や、PDS(Philip DeFranco Show)や On Being といったYoutube/Podcastを普通に楽しめるレベルにはなった。
もちろん回によって理解力は異なる。100%余裕で理解はいつになるやら分からんが、内容は分かってついていけるようになった。On Being は5年以上前に結構聞いていたが全くついていけない事も多かった。自分の進歩を知るためにさっき聴いてみたら聞けた。ついていけた。なので英語OSは着実に育ってきていると思う。ただ「日本語を意識的に抜く」ということを強く意識してやってきた訳ではないので、そこをさらに意識してネイティブ音声のインプットを続けようと考えている。

今、俺の英語学習に最も影響を与えているのは間違いなく6歳の息子だ。「そうやって覚えていくのか!」という急速な成長を目の当りにしてインスパイアされまくりだ。
息子を隣で見ていると、日本語への翻訳欲が自然と萎んでくる。
大人は慌てて意味を理解したがる。手っ取り早く日本語での意味を知りたがる。本当に必要なのは外国語の海で溺れて、そこから発見的におぼろげにイメージが分化し、意味が掴めてくる言語体験だ。
しかしそれが耐えられない。日本語の意味を理解していることによって、外国語を理解していると思いたがる。

日本語によって支えられた英語は弱い。日本語から英語を掴みにいってはいけない。あいまいさ、むずがゆさ、分からなさに耐え、楽しみ、英語が英語同士で支え合い、ムクムクと自立しだすのを待つのが正解だ。
師匠はそうやっているようだ。
ありがとう師匠。ついていきます。

↓ おかね。。。おかねをください。