小さいころに見た悪夢には、青鬼がいた。

虫を踏み潰したとき、虫の血液が赤くないことを嘆いて虫が嫌いになりました。

世界のすべては自分と同じ色の液体が流れていて、アスファルトの亀裂からいつか鮮血が噴き出すのだと思っていました。

車に轢かれて踏み潰され、1ミリの厚さになったモグラやムカデには、内臓がないのだと信じて疑わなかった。
それをひっくり返して見る勇気も、私にはなかった。
私は人を殺せないでしょうね。

道端に避けられていた猫の死体の裂け目から、さして人間と変わらない色の内臓が溢れていたのを凝視してしまってから、ずっと後悔しています。
あの時手を引いてくれた好きな人は、遠いところに行ってしまった。

昔、唐突に死ぬのが怖くなって「死ぬのが怖い!」と泣きながら親にしがみつき、一緒に寝た翌日に高熱を出したことがあります。皆、そういうものだと思っていました。その日から、天井に目があるような気がしてなりません。

私は誰もいない家に帰ってくるのに、母は私がいる家に帰ってくるのが気に食わなくて一人暮らしがしたかった。
私は「おかえり」を言われたことがあんまりないのに、母には私の「おかえり」があってそれを強要してくるのが嫌いなので一人暮らしがしたかった。

でも、死んだとき誰にも気づかれず異臭で近隣住民とインターネットを賑わせてしまうのはあんまりなので、一人にはなりたくないものです。

こういうのばかりおすすめに出てくる。AIは私を怪物だと思っている?


チー牛が最もかっこよくなる瞬間こと、ダンスラッシュ


パチンコ屋の隣で経営されていた託児所で、急に怖い話大会が始まったことがあります。
ホラーが大の苦手の私はものの数分で大泣きしました。ダサすぎることがあるよな。
そこで泣いた私を見た託児所の先生が、「みんなで手つないで輪になろう!」と呼びかけ、手をつながれ落ち着いた私に「お化けはお化けのこと怖い!と思う人のところにたくさん寄ってくるんだよ」と諭すように言い放ちました。
どういうつもりなんでしょうか。
私が死んだとき、たとえこいつがお化けを怖がらなかろうと、私はこいつに近づき呪います。
でも、翼をくださいがテレビから流れていて「この歌詞はどういう意味なの?」と聞いたところ、「病気の人が空を飛びたいって願いが込められてるんだよ」と返されたので、「死んだらいいじゃん」と言ったら軽く怒ったのも、その先生でした。
人の良し悪しは、一つの物事で決まるわけじゃありませんよね。

死んだら空を飛ぶんだと、本気で思っていた。


私のこと、見えてるんでしょ?←言いてえ~~


ゆず塩ラーメンに野菜炒めを乗せると美味いです。塩分過多で死ぬでしょうね。


この間頂き少女のマニュアルを読んで、毒親育ちなどの特殊な過去を経た人間が持つ突出した洞察力と人心掌握術は、倫理観の有無で悪人となるか聖人となるか決まるな、と思ったけど、別に倫理観がないやつは何やらせても悪人になるな。
変な人は特殊な過去がなくても変だし。
でも変な人って特殊な過去ありがちだな。これなんでですかね。

悪役に辛い過去を背負わせるのはもう古い。
これからはめちゃくちゃ裕福な家庭で何不自由なく育った愛されキャラが、自分の倫理観に疑うことなく人を殺める時代。


プリキュアにも労働基準法があったらどうしよう……

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