どんぐり考③

どんぐり考②で大体ロマンス諸語は一旦終了と申しておりましたが、

やはりナポリ語「gliandra」が少し気になっていたのと、

よくよく考えればシチリア語とかブルトン語とか

バスク語とかカタロニア語とかあったねw

もちろんブルトン語やバスク語はロマンス諸語には入らないですが、

同地域ということでw

以下、ざっと。

ブルトン語「mez」

はぁ? という感じですが。

いわゆるギリシア語から俗ラテン語、

もしくはアラビア語の流れにかすってもいません。

これはいわゆるケルト語派の流れなのですね。

このあたりにケルト系の民族が定住するようになったのは

5世紀のあたりからだったと思います。

入植しブルターニュ土着民族の女性と結婚させたらしいのですが、

自分たちの言葉の純粋性を保つため女性の舌を全部切ってしまったとか。

ま、もちろん伝説ですけどね。

でも、それを裏付ける表現が現在のウェールズ語に残ってるようでw

樫はケルトではとても重要な樹木の一つですので、

色々調べたら面白い話がありそうです。

また折をみて。


バスク語「ezkur」

バスク語も、はぁ?って感じですね。

かすりません。

で、調べて分かったのですが、

孤立した言語体系をもつ言語らしいですね。

ぼっち言語です。

要は印欧祖語以前の言語の生き残りです。

よって、これ以上トレースするのはほぼ無理でしょう。

私なんぞはバスクというとETA、

いわゆる「バスク祖国と自由」をすぐに思い出してしまいますがw


カタロニア語「gla」

これは、まぁ、俗ラテン語からですかねw

おわり。


シチリア語「agghiànnara」

これはイタリア語「ghianda」に

接頭語「ag」がつき、多分ロータシズムにより「nd」が「nn」に変化。

「ra」は…なんだ?

あれれ?

たしかナポリ語にも出てきましたね。

この部分ナポリ語での説明ではやや不十分な気がするのです。

そこでふと思い出したのが、ナポリを含む南イタリアの歴史。

ご存知かと思いますが、

ナポリやシチリアは昔から色んな国の支配を受けております。

イスラム系からノルマン人やフランス、スペイン等々。

蹂躙されまくってますね。

さて、シチリア語「agghiànnara」とナポリ語「gliandra」。

基本的には俗ラテン語「glans」か「glandis」を

引き継いでいると思いましたので、それを基にみていこうと思いました。

その中で見つけたのが、ガリシア語「landra」。

実に近いです。

まず俗ラテン語に近い。

それにナポリ語にもなんとなく近く見える…か?

ガリシア語の説明は、ガリシア語からフランス語に翻訳をかけたので、

それ程間違ってはいないと思うのですが、

恐らく何らかの理由で「g」が抜け落ちたのだろう…だってw

ではこの「dra」は?

ガリシア語の語尾がなぜこうなったかは残念ながら不明です。

私が調べられなかったという意味で。

しかしナポリ語とシチリア語に関しては、

オスク語のロータシズムを理由にするよりガリシア語の影響という方が

もう少し説得力があるような気がしてならないのです。

勿論ちゃんとした資料で年代等を含めて検証したわけではないので

ナポリ語からガリシア語の線はないの?と言われると困りますがw


で、ガリシアってどこですかね?って話ですね。

ガリシア語は今でいうポルトガルあたりで話されていた言語です。

ガリシア王国は大体5世紀位に建国され、

ガリシア語なるものが成立したのはおおよそ9世紀以降と考えられています。

もちろん俗ラテン語の流れですね。

その後12世紀にはカスティーリャ王国の支配下にはいりました。

そのカスティーリャ王国も1479年にはアラゴン王国との連合王国に。

スペインの前身ですね。

いや、確か既にスペイン名乗ってたか。

さて、そのガリシアを踏まえたうえでの、

ナポリやシチリアとスペインとの関係をみていこうかと。

まずは13世紀。

世界史で習ったあれです。

シチリアの晩祷事件ですね。

これによりアラゴン王ペドロ3世がシチリア王に即位します。

15世紀の中ごろ、アラゴン王アルフォンソ5世がナポリを征服し、

両シチリア王を称し、イタリアにゴリゴリ干渉してきます。

その後、ヴァロア朝のフランス王シャルル8世が侵攻ナポリ王に就きますが、

暫くしてまたアラゴン王フェルナンド2世に蹴散らされ、

ナポリはアラゴン王家の領土になります。

正確にはカスティーリャ=アラゴン連合王国(スペイン)に併合なのですが。

以降2世紀程「ナポリ総督管轄区」として

スペインから派遣される総督が国を治めました。

これは何を意味するかというと、

現地には役人等をはじめ、軍人、商人諸々、

当時のイベリア半島で話されていたカスティーリャ語、アラゴン語、

そしてガリシア語を話す人間が結構いたのではないでしょうか?

やや強引ではありますが、

統治していた王がカスティーリャ王も兼ねていたことが多かった…

でも、実際出身がカスティーリャってわけではないので

ちょっと無理があるんですけどねww


さて、今度こそロマンス諸語は終れるのかしら。

もっと細かく言い始めれば色々出てきますが、

ある程度知名度がある範囲はカバーできたかと思います。

あとは大体一緒なんで割愛でもいいですよね?ww


余談ではありますが、今回の調べものの副産物として

ナポリとシチリアの異端審問制度に関する論文を発見。

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