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ひぐらし亭 夕方公演(20年11月13日)

■演目
一、 おしゃべり(たけ平・萬橘)
一、 新聞記事(萬橘)
~仲入り~
一、 鰍沢(たけ平)

■所感
にっぽり館の平均観客数(自称)……より、若干上振れ。
少数精鋭で豊かな空間を共有。

11月の「おしゃべり」は、にっぽり館の将来を協議する首脳会議。毎回寄り道寄り道で前半グダグダしたり、後半が急に巻いたりとバタバタ感が楽しい。決まった流れでも客層や構成比率で反応が違うのが面白い。萬橘師の容姿やたけ平師への悪態が受ける日もあれば、そこはスンッの時もあるし、連想ゲームの到着点でドカンッと来るときも、後から遅れてクスクス来るときもあったり。この反応と、後の演者が選択する演目の関係性を解き明かしてみたい。

萬橘師「新聞記事」。
最近のニュース関連枕をアソート詰め込み。ナスカ地上絵の新発見時に師の中に浮かんだ、職人師弟コントが楽しい…からの本編。理解力に乏しい八五郎と、その災害に直面した御隠居、そして時折存在をヌッと出す御隠居の奥様が三者三様で面白い。思わず漏れる「マジかッ?!」の切羽詰まった感に痺れる。後半の八五郎無双は腰にブッスシと刺さった日本刀からスタート。見えないが故に、見えてくる。見えないが故に、見えていた気になっていたものがスッと挿げ替えられて驚く。落語の楽しさに溢れる一席だった。

たけ平師「鰍沢」。
お題目の枕からスッと鰍沢。たけ平師は少数精鋭の時に、特に大きなネタを演る事が多い気が。こういう事があるから時間を都合して足を運びたくなる。
雪吹き荒ぶ山道で人家を見つけた時の安堵感、囲炉裏の前で枝を折りつつ暖を取る中で徐々に固くなった躰が、態度が温度と共に軟化していく。そこで、この旅人が親孝行と信心はあるが、口が軽く、根は軽い人間だということが分かり始める。一方、迎えるお熊側は囲炉裏での過ごし方、灰の片付け方一つとっても様になっている。なっているが故に、語られる濁酒への慣れと共に、人間が環境に順応してしまう哀しさが滲み出る。
江戸への哀愁が語られる中、旅人が懐に手を入れると状況が一変。すっかり田舎に染まり人生を諦めたように見えていたお熊の目が光り、嫌な雰囲気が醸し出される。直感は予感となり、そして確信に変わっていく。という流れが楽しい。特に旦那の今わの際に投げかける言葉の取り付く島もない冷たさ。その温度に思わずゾクッとする。終盤の畳み掛けるような展開に息を呑み、サゲの意味をゆっくり理解する中で息をそっと吐く。
以上

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