「主人公=筆者」を疑う

国語教育における謎問題
昔、中学校や高校の国語の、短歌や俳句にまつわる問題でこんなものがあった。



(1)

問.「この句の傍線部で、『氷水』を『うまし』と感じているのは誰か」

正解.「筆者」



これを僕を含め多くの学生が、別になんの違和感もなく受け入れていたわけだが、この正解はよく考えるとおかしくないだろうか?



以下の例をみてほしい。

(2)

問.「この小説の傍線部で、『激怒した』ため王を暗殺しようとして捕えられたのは誰か」

正解.「太宰治」



こんな問題が実際にあったとしたら、この問題集を作っている出版社には問い合わせが殺到するだろう。教師が作った学校のテストであればメロスのみならず保護者も激怒するのは必至である。



それがなぜか、という問題についてここでは考えてみる。





「主人公=筆者」という「常識」

どうも近代の俳句や短歌の世界では、「俳句や短歌の主人公はすなわち筆者であり、描かれていることは実体験である」という常識に(全員ではないものの多くの人が)染まっているようである。



一方で小説や映画について読者や観客はそれらの主人公が作者や脚本かと同一人物であるとは思わない。



(私小説の場合はそう思われる傾向があるようだし、たとえばj-popの内容は作詞家や歌い手の実体験と混同されて受け取られているようなフシがある。このあたりへの突っ込んだ考察はいずれ書かせていただく)



ともかく、短歌や俳句に関してもはなぜ、こうも無邪気に「主人公=筆者」であると信じられているのか。



伝統的にそういう読み方がなされ、また推奨されてきたからだ、というのはいちおう理解できる。



平安時代の貴族の間では、歌は恋愛その他の場面において歌い手が自らの気持ちを歌うものでもあった。



そこに歌われている気持ちが真実の恋なのか、単に相手の歓心を買うためのテクニックなのかは置いておくとして、こういう場合「主人公=筆者」であるというのは間違いないだろう。



そのような伝統を引き継いでいるからなのか、一般的には「短歌や俳句の内容は筆者の実体験であり、すなわち作中の主人公は筆者である」という見方が大手を振るっているように見える。



だが、それは偏見でありただの思い込みではないだろうか。うたわれている内容を作者が実際に経験したかどうかは誰にもわからない。正岡子規が法隆寺の鐘の音が聞こえる場所で柿を食ったかどうかは、彼があの句を詠んだというだけでは断定できない問題なのである(実際、この句がフィクションであるという説もあるようだが、それがいちいち問題にされること自体、「俳句はノンフィクションである」と皆が思い込んでいることの証明である)



さらに言えば、「自身の体験を仮想した」というわけではなく、「自分ではない架空の人物の体験を仮想した」可能性だって十分にある。



小説のようないわゆる物語と、短歌・俳句の国語教科書での違いは実は他にもある。それは小説の書き手が「作者」と呼ばれるのに対して、短歌・俳句の書き手は「筆者」と呼ばれることが多いということだ。



これについては「『作者』は芸術作品や創作物の作り手である」というような説明をされることが多い。では短歌や俳句が芸術作品・創作物ではないのかといえば、芸術ではあると考える人のほうが大多数だろう。


「作者」と「筆者」はどう違うか

それならこの「作者」と「筆者」の使い分けはどこから来るのかといえば、おそらく「短歌や俳句は『創作』されているわけではない」ということだ、だから「作」者ではなく、筆を動かして現実を写しとっているだけの「筆」者なのでぬある。



ひとまず「短歌や俳句はノンフィクションとして読む」という伝統は伝統として尊重するとしても、だからといって「この世に生み出される短歌や俳句のすべてがその伝統に従っている」と考えるのは早計である。だから依然として「『氷水』を『うまい』と感じたのは『筆者』」を正解とするのには大きな疑問が残る。むしろそれが筆者であるという可能性は残しつつも「主人公」とするのがやはり正しいのではないだろうか。その上で、「この主人公の体験したことは、作者の体験の反映であるかどうか」という議論がなされるべきではないだろうか。



また、作者の意図や「フィクションかノンフィクションか」という事実認定とは別の問題として、無条件に「短歌・俳句はノンフィクションで主人公は筆者」とみなしてしまうことは、作品の創造/享受の幅を著しく狭めることにもなる。読み手がそれをノンフィクションとしてしか捉えないのと同様、書き手も実体験しか書こうとしなくなるし、そうでない書き手を疎外することにもなる。それはこれらのジャンルにとって、あまり望ましくないことなのではないだろうか。

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