日記20:20(2019/08/14)

ロッキンジャパン、20周年だったんだってさ。凄。

特に意識してなかったけど、初めて行ったロッキンが20周年の特別イヤーのやつだったっていうのはきっと一生覚えていて時々思い出すんだろうなあと薄らぼんやり思っている。薄らぼんやり思っているものが多すぎてどれもこれも薄らぼんやりになってしまいがちだ。そんなもんだ、だいたいが。

さて。この日記も20ページ目と相成ったわけだが、それについてはこれといって特別な何かしらとかはない。ただ1回1回が単独として、それがたまたま続いて、20だ。四日坊主をやりがちな自分としてはかなり続いている。本当にこんなに続くと思ってなかった。やっても1週間くらいで飽きる気満々だった。
続けようとしてないのがかえって良いのかも知れないな。いや、そもそも続ける続けないのアレではないけど。アレってなんだよ。言いがちだけど。

ところでさ、20年生きたら馬鹿騒ぎして祝うみたいな風習あるけどあれなんなんだ? 20年生きられたって21年目に死んだら何の意味もないんだが。23年目に死んでもだ。心当たりがある奴いるだろ。お前だよ。もう一生死ぬな。お前が死んでも世界は何にも変わらないよ。消費税は上がるらしいけど。

おれはお前らがどこまで死なずにいてくれたら「もういいよ」って言ってあげられるのだろうな。誰にもいなくなって欲しくないんだよな。自分勝手だから、地球丸ごと手腕におさめて愛したい。それが無理だからせめて手の届く範囲にいる人間には健やかに穏やかにいてほしい。おれがいてもいなくても。
「世界が辛いなら死ぬという選択肢もアリ」とか言える人間におれは一生なれないんだと思う。ねえ、そういう質の高い優しさみたいなやつどうやったら手に入る? 神仏になればいい? そうだよね、生命の生死を手のひらで転がせるのなんか神仏くらいだよね。じゃあ無理じゃん。

ロッキンもぼくなつも、すげえ楽しかったなあ……

今年の夏はあとはペットボトルロケットを飛ばすか江ノ島に行くかできたら大丈夫になれる気がする。みんなでいっしょに大丈夫になろうね。大丈夫になんか本当はならなくたっていいんだけどさ。


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