日記26:水源(2019/09/07)

真夏のピークは去ったのだろうか。
夏の始まりから夏の終わりを考えてやるせなくなっていたおれはもう年の暮れに想いを馳せてやるせなくなっているよ。フジファブリック聴いてる? おれはもう聴いてない。本当に夏が終わってしまう気がするから。

夏の曲はどうしてか秋冬に聞くことが多いんだがなんでだろうな。偲んでるつもりになってるのかな。馬鹿みたいじゃないか? それって。

ところで今年の「八月」も、「八月」を繰り返すことなく無事に終わっていったそうだな。いつの間に終わったんだよ。嘘。八月三十一日めちゃくちゃ落ち込んだ。知ってたよ、九月になったの。

「八月が終わるとどうなる? 」
「知らんのか。また八月が来る」

みたいなことにはならなかったわけだ世界は。期待してたんだが。
それこそ涼宮ハルヒの憂鬱1巻冒頭のサンタクロースや宇宙人や未来人や超能力者などに関する見解みたいなくらいのジンワリと滲む程度の期待感で。こうだったらいいのにな、でもそんなわけないしな、でも本当にこうなったらどうしようかな、と最大公約数的なことを考える、そういう稚拙な愚かしさを永遠に過去に置いてこれなくていつまでも中高生みたいなことばかり言っている。もういい歳なんだけど、どうしたらいいの? いや、どうする気も起こらんが。

自分の思考や行動の、動き方や演じ方がキョンと似てしまうのは、その水源があの頃に読んでいたライトノベルたちにあるからで。だから自分のこと「俺」とか言っちゃうのかな。文字の上でだけだけど。
どう考えても色んなことがキョンナイズされている。同期のオタクはみんなそうでしょ? 一緒だね。

昨日は、蝉が死ぬのを見ていた。
うるさいなと思って見ていたら急に死んでいったので驚いた。あっけないな、蝉とかいうの。何のためにあんなに叫んでるんだろうな、なにもこんな暑い時に頑張んなくてもいいんじゃないのって思うけど、まあそういうわけにもいかないんだろうな。死んでいる虫は何度も見たし殺虫剤も何度も使ったことあるけれど、勝手に死んでいく虫を見たのは初めてだったな。何だろうなこの感じ。わかんねえわ。


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