日記12:彩度(2019/07/22)
記憶に彩度がなさすぎる。
ないんだわ、彩度が。記憶に。
思い出される人や風景、ほぼ彩度がド低いんだがどういう仕組みなんだ? これ。近藤勇の写真くらい低い。なんで?
自分の視界や思考にとっては彩色というものがそこまで重要でないのかも知れない。そういえば、みんなが即答できる「好きな色なに?」をスッと答えられたことがない。関心がないのか? どうだろう。わからない。
感情なら常に彩度バッキバキなんだけど。おれの感情、賑やかすぎるからいい加減にしてほしいな、本当。落ち着いて。年相応になって。いつまでたっても思考も嗜好も心情も、全部が全部思春期だ。思春期の頃、そこまで思春期めいていなかった気がするから、多分ほかのひとより人生が3周遅れくらいでまわっている。長生きしないと追いつけないじゃん。やめてよ。
長生き、してもいいししなくてもいいな。
疲れちゃう前に眠るように安らかに死にたい。一人でひっそり骨になるまで見つからずに死にたい。死に様を誰かに見られるの嫌だなあ。ぞっとするや。葬式はしないでくださいね、たのむから。現代の日本ではそれは許してもらえないのだろうな。どうすりゃいい?
知ってる人間が全員いなくなるまで生き続けるしかないのか?
長生き……………、ね………。
してみるか。長生き。億劫だけど。
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