日記19:縁側(2019/08/13)

電車という空間は実は縁側とほぼ同じものになり得るんだ。同じ理由で縁側も電車になり得るんだけれどそれは今はどっちでもいい。
見えている景色が流れているか広がっているか、目的地があるかないか、他人との距離が近いのか他人が一人もいないのか、とかまあ色々差異はあるんだが本質が一緒なんだ。景色を見るという一点に限っては。

だから、電車の場合は外の音は聞こえてこないはずなのに、俺たちは並走するツバメを見つければ雛の鳴き声を連想するし、自動販売機でおっさんが缶コーヒーを買っているのが見えたなら「ガコンッ」が頭に響いたりもする。縁側で聞いてきたからだ。縁側だけじゃないけども。

そうだよ。
この世界は経験に基づいて流れている。
まっさらな脳みそとまっさらな思考だったころ、例えば赤ちゃんとかいう種族の人間だったころの世界は今とまったく別物だったのだろう。ここ数年だけでも世界かなり変わってるし。いや、何を当然の話をしてるのだろうね。当たり前のこと言ったよな、今。あれ? 自分らしくないこと言ってる? そんな感じしない? やめよやめよ!

じゃあ自分らしい日記ってなんなのってことになるわけだが、やはりおれのメインウェポンは≪慈しみ≫、サブウェポンは≪育み≫なので、電車で「種族:赤ちゃん」を見かけると必ず非言語的コミュニケーションで話しかけてしまう話をしようか。
赤ちゃんって知ってる? おれは知ってるんだけど、あいつら、目合わせてまゆげ動かしてたら簡単に笑うしちょろいぞ。あいつらが笑ってると俺も笑いがちだし。別の種族のやつらだから少し緊張するし、たいてい保護者の人間が真横にいるから声はかけられないんだけどさ。

あれ? なんか自分らしくないこと喋ってるよな、なんだ? 何かがおかしいな。

台風来てるからか?

台風の影響で仕事無くなったりしないかな。職場へ行く道が全部土砂で埋まるとか。
はやくそういう人が死なない程度の非日常が軽めにやってきて軽めに去って行ってくれたらいいのに。

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