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『サッカーの街 古河』

皆さんこんにちは!

FC古河の坂本です!
茨城県古河市にあるサッカークラブで働いています!

2021年新たにnoteを始めることにしました!

初投稿、、、
拙い文ではありますが、想いを込めて書きました。

最後まで読んでいただけると嬉しいです。
#いや絶対最後まで読んでほしい
#決意表明

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『古河を日本一愛される街に。』


FC古河のクラブ理念でもあり、僕の想いでもあります。

かつては「サッカーの街 古河」と言われたこの街を、もう一度胸を張って「古河はサッカーの街だ」と言えるよう再建させたい。

サッカーを通じて、FC古河を通じて、笑顔と感動に溢れる愛される街にしていきたい。

そういった想いをこのnoteを通じて多くの人に伝えていけたらと思っています!
#本気です




自己紹介

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「てかお前誰?」という声が聞こえてきそうなので自己紹介させてください。
#自己紹介って恥ずかしい

経歴は以下の通り。

【経歴】
1996年生まれ9月30日生。茨城県古河市出身。
・2009年4月 FC古河ジュニアユース 入団
ー5期生 副将
・2012年4月 古河第一高校 入学
ーサッカー部 主将
・2015年4月 日本大学 入学
ーサッカー部 主将
ー教員免許取得(保健体育)
・2019年4月 株式会社DYM 入社
ー人材事業部でキャリアカウンセラーと法人営業を兼務
・2020年6月 NPO法人FC古河 入社

古河生まれ古河育ち。
小学1年生の頃に地元のスポーツ少年団に入りサッカーを始め、中学は部活動ではなくFC古河に入団、高校は県外の私立高と迷いましたがFC古河の岩﨑監督の勧めもあり地元の古河一高に進学、大学では古河一高サッカー部OBの川津監督が在籍する日本大学に進学しました。

この通り、僕の"サッカー人生"と"古河"は切っても切り離せない関係なのです。

古河でサッカーを通じて良い思い苦しい思い、様々な経験させてもらいサッカー選手としても一人の人間としても、成長させてもらいました。

いつしか将来は生まれ育った古河の為に仕事をしたいと思うようになりました。

大学卒業後は都内の人材系の民間企業に就職。
これもサッカーから離れ、違った角度からの経験を積んで、古河に戻ろうと思い都内での就職を選択しました。
1年目のぺーぺーでしたが大きなプロジェクトも経験させてもらいました。
サッカーしか知らない僕にとって今までとは違った刺激的なとても濃い時間を過ごすことが出来ました。

そして昨年2020年に

自分を成長させてくれた古河に貢献したい。
大好きな古河の為に仕事をしたい。

その想いで地元に帰って来ることを決断。

こういった経緯があり「古河を日本一愛される街に」したいと言っているわけです!




”古豪”

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古河はサッカーの歴史が凄まじい。

ご存じの人も多いかと思いますが1970年代から1980年代にかけて古河一高は選手権で2回の全国優勝、インターハイで2回の準優勝。古河一中は全中で5回の全国優勝。
また古河三高や古河二中、古河三中も強豪校として活躍していました。

この実績がどれだけすごいことか、、、
まさに「サッカーの街古河」ですね。

ただ今でも、この街のサッカー熱はすごいんだなと実感することは多々あります。
週末はグラウンドで50歳60歳になったお父さんたちが泥まみれになりながらプレーしていたり、たくさんの子供たちが熱心な指導者のもと楽しそうにサッカーをしている光景は、他の地域からすると当たり前のことではなく、すごいことなんだなと考えさせられます。

結果としても、ここ最近は古河一高が選手権県予選で3年連続で3位、ラッツォス古河FCが昨年のO-60の大会で全国優勝、FC古河は2015年にクラブユース全国ベスト8、少しずつ結果は出てきていると思います。

しかし、過去の輝かしい実績とは比較対象になりません。


昔の古河を知っている人は口を揃えて「昔は強かったんだけどね」「何とかしたいけど厳しいよね」「歴史と伝統はあるんだけどね」と少し寂しそうに話をします。

"古豪"という情けない言葉を認めるしかない。
本当は認めたくはないけど、認めざる負えない。

見方によっては栄光捨てきれずにいる醜い状態と捉えられます。

それでも、今も変わらずめちゃくちゃサッカーが好きで、サッカーの街古河の復活を望んでいる。そういうひとが古河には沢山います。

そういった先輩方の想い、創りあげてきた歴史と伝統を大切にしていきたいし、輝かしい過去を超えるような「サッカーの街 古河」を創っていきたいと強く思います。
#坂本 、古河に骨を埋めます




”想い” 古河にJリーグクラブを

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この作文は僕が1年半前くらいに「古河がこうなれば楽しいだろうな~」「サッカーの街ってこういう感じだろうな~」と想像しながら書いたものです。
#ちょっと長いけど作文も読んでください🙇
#文字が小せ〜
#すみません。


僕自身、サッカーを通じて、FC古河の活動を通じて、多くの人に笑顔を届けることで少しずつ古河を日本一愛される街にしていくことが出来るんじゃないかと本気で考えています。

ちびっ子からお年寄りまで地域のすべての人が集うことのできる笑顔溢れるサッカーパークを作りたいし。

FC古河や古河一高を筆頭に育成年代のチームを全国レベルまで強化し、街に明るい話題をたくさん届けていきたいし。

サッカー以外の取り組みや活動を通じて更に活気あるにぎわいのある街にしていきたい。

理念に近づくためにやらなくちゃいけないことが沢山あります。


そして何よりも

サッカークラブが出来る、多くの人に笑顔を届けることができる方法、、、



「古河にJリーグクラブを作る」こと。

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Jリーグクラブが古河にあることで

子供たちに大きな夢を持ってほしいし

多くの人が訪れる街になってほしいし

街の皆に一体感を感じてほしい


ただ順序は間違えてはいけません。
「古河を日本一愛される街に」この理念を達成するプロセスにJリーグクラブを目指すことがあるだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。

愛される街にすること、それだけが本望です。


ただJリーグクラブを作るということは、もちろん簡単なことではありません。

お金の問題。人材の問題。スタジアムの問題。
沢山の大きな壁と向き合うことになると思います。

ただ出来ない理由を探すことは簡単だけれど、いっぱい勉強して、誰よりも時間を費やして、知らないことに目を背けず、出来る可能性を探っていく。

もしかしたら何か大切なものを犠牲にしなくてはならない決断をすることもあるかもしれません。

それでも覚悟を決めてこの街に帰ってきたし、声を上げて行動し、想いを形にしていきたいと思っています。
#お世話になった人に形になった景色を見てもらいたい




最後に、正直下心があります。。。

noteを始めようと思ったのには下心があります。正直に話しますm(__)m

興味を持ってくれる人
共感してくれる人
応援してくれる人
協力してくれる人

を増やしていきたいということ。

24歳にもなりこんな壮大な夢を語っているのでこいつバカだなと思われてるかもしれませんが、この壮大な夢を僕一人だけでは実現できないことくらいバカな僕でもわかります。

クラブスタッフはもちろんですが、選手、保護者の方々、OB、市民の方々、民間企業、行政、多くの力が必要となります。

サッカーの街 古河を
多くの人に愛されるものにしたい

この街のサッカーを
街の誰もが誇れるほど強くしたい

そしてなによりも
サッカーを通じて多くの人に笑顔と感動を届けたい

そんな想いを行動にし、FC古河の活動や取り組みを多くの人に興味を持ってもらい、共感してもらい、それを応援してくれる人、協力してくれる人と一緒に実現していきたいと思っています。

いつしか誰かの役に立って感謝され、背もたれのようなそっと支えられる存在になれてたら嬉しいです。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

頑張ろ〜!

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