側頸嚢胞と診断されたので入院して摘出手術うけてきたよ

 コロナ渦巻く12月、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 三密は避けてますか?
 手洗いうがいを励行していますか?
 ちゃんと自宅に引きこもってますか?
 僕は入院してます(してました)。

 溜まってた本を読んだりゲームしたり、それなりに充実した入院ライフを過ごしておりますが、インプットばかりでアウトプットがまるでできていないので、暇つぶしも兼ねてつらつら経過を書いていきます。


全てはビッグバンから始まった前日譚


 そう、あれは、よく晴れただか雨に濡れただか君の涙が美しかっただかした夏の日のこと。
 鏡に写った自分に違和感をおぼえ、子曰く、

「 ...なんか首の左側だけ太くね?」

 次の日、仕事を早めに切り上げさせてもらい、自宅近くの耳鼻咽喉科クリニックへと足を運び先生に診てもらったものの、MRIとかCT撮らないとわからない、と総合病院への紹介状をいただくことに。

 後日、総合病院へと赴き診察やら検査やらで1ヶ月が経ち、ようやく下された診断結果が、

 「 側 頸 嚢 胞 」

 耳慣れない病名ながらも、嚢胞という単語に顔を曇らせる僕。
 悪性じゃないから安心して、と顔を綻ばせる先生。

 ラピュタは本当にあったんだ...
 さながら竜の巣のように荒々しく渦巻いていた感情から解き放たれた僕は、その瞬間まさしくパズーと同じ気持ちになっていた。

 どうやらこの嚢胞は先天性のものらしく、普通なら成長の過程で閉じるはずの袋が開いたままになっていて、そこに少しずつ体液が溜まっていくとのこと。
 20代くらいで気付く事例が多いらしく、例に漏れず僕もそこに当てはまったわけだけども、ブツはかなり大きい部類になるらしい。
 今後は、僕の身長が伸び悩んだことも頭が悪いことも全部こいつに阻害されていたからだということにしよう、そうしよう。

 先生から、お薬で消せる大きさじゃないし、中に溜まってる液体を抜いてもまた溜まってきちゃうから、手術して袋ごと取っちゃうしかないね☆と。

 しゅ、手術ですかぁ...
 できれば死ぬまで手術とは無縁でいたかったな。
 体にメス入れられるの怖い。

 しかも首元を切るから全身麻酔が必要とのこと。こえぇ...

 そんなわけで手術を10月中旬に受ける事が決まり、そして入院直前に体調を崩して延期になり、ようやく12月になって入院することができましたとさ。


痛くない鼻うがいは意外と本当に痛くない入院前日


 午前中にPCR検査とCT撮影をして問題なかったため、予定どおり翌日入院できることに。
 PCR検査が痛かったことくらいしか特筆すべきことはないので、PCR検査がバリ痛かったことだけ記しておく。鼻奥グリグリくそ痛い。ファッキンコロナ。

 午後からは職場に出て上司に引き継ぎをし、管理職のお偉い人にも入院する旨を改めて報告。
 2年後、またこの場所で。
 再開を誓い、みんなに別れの言葉を告げられながら(おい、死なないからな)職場を後に。

 家に帰ってからも落ち着いたもので、夜中まで同僚と原神して遊んでました。
 目当ての☆5は引けなかったけど、とはいえ評価の高い☆4を2人引いたし、良いのではなかろうか。
 入院に向けて視界良好。オールクリア。一点の曇りもない。
 いつもどおり夜更かしして眠りにつく。


訳もなく奥華子を怒らせた入院当日


 嘘か真か、世の皆様は準備というものを前日までに済ませるものらしい。
 そういえば小学校の時に、次の日に持っていく物は前の日の夜ランドセルに入れなさい、と母親からキツく言われた覚えがある。

 ランドセルはバカみたいに重たいのに、そのくせ必要なものばかりはよく抜けていたあの頃から僕は何も変わっていない。いや、少し首は太くなったか。

 午後2時からの入院に向けて、午前10時に起きる。
 見事なスタートダッシュ。準備は何も終わっちゃいない。
 まだ試合は終わっちゃいないぜ!

 だが、難しいことは何もない。アメニティー類は日額500円くらいで病院側で手配してくれるから、パンツと下着と暇つぶしグッズをバッグに放り込むだけ。
 あの頃から何も変わっていないと言ったな。あれは嘘だ。
 今の僕は、勝算のある直前準備しかしないんだ!

 準備万端で清々しい昼。
 さて、お昼ご飯でも食べて病院に向かおうかな。

 しかし、突如ここで激しい緊張感に襲われる。
 手術への恐怖により手足が震え、挙げ句の果てには吐き気まで催してきた。 

 真正のビビり、ここに極まれり。
 お昼ご飯は諦めて、そのまま病院へ向かうことに。

 縮まる距離に反比例して加速する緊張感。
 なんとか限界を迎える前に病院に到着すること叶いました。

 だけど不思議なもんでさ、現地に着くと一転して平常心ってヤツが戻ってくるんだよね。
 腹を括るのが圧倒的に遅い。しかもマニュアルモード搭載してないらしく、自分の意思じゃどうにもできないという。難儀な体だよ。

 初手からフレンドリーな看護師さんに若干だけ気圧されながらも、入院に関する留意事項をインプットしていく。
 最後に自分のベッドへと案内されてレクチャー終了。

 その後、執刀医の先生や麻酔科の先生が翌日の手術の説明に来てくれた。
 みんないい人そう。よかったよかった。
 これで怖いことは何もないぞ。
 彼を知り己を知らば百戦殆うからずってね。違うか。

 手術はその日のトップバッターで8時45分から。
 全身麻酔ということで、術前の夜9時から食べ物は口にしちゃダメ。水分も当日朝の5時半からは摂取していけないとのこと。
 脱水を防ぐため、水は飲めるうちにできる限り飲んでおけとの指示。
 夜ご飯にOS-1みたいな経口補水液が2本付いてきたから、素直にがぶがぶ飲んでいく。

 ちなみに病院食について、どんなもんかと身構えてたけど、薄味とは言いながらも出汁の利いた素朴な味つけで、僕としてはとても美味しかった。
 量は食の細い僕に丁度いいくらい。

 ここまでくればもう寝るだけ。決戦の軍靴を爆睡して待つとする。
 寝て待ってればいいのは果報だけじゃないんだぜ。

 消灯された部屋のベッドで横になり、明日の我が身を案じてふと思う。


 「 ...switch持ってくるの忘れた。」


パンドラの箱から出てきた5億年ボタンは押すと任意の相手を飛ばせるらしい手術当日


 絶水期限直前の5時にたたき起こされ、一口水を飲んでまた眠る。
 まだ真っ暗だった。

 次に目が覚めた時にはもう明るくなってたので、術衣に着替えておく。

 審判の時は突然に。

 ってのはうそぴょ~んで、定刻きっちりに来た看護師さんに案内され、震えながら手術室へ。

 手術台に乗って、さっそく点滴をぶっ刺される。
 ワンミスあったけど、再チャレンジで成功させてくれた。
 よかった。メス入れられる前にハチの巣になることは回避できたな。

 気付いたら酸素吸入器つけて知らない天井見てた。

 場面飛んだと思った?僕も思った。
 手術室からは移動しており、ここは術後専用フロアらしい。

 あれ?今さっき点滴ぶっ刺したばかりですよね?
 意識落ちていく感覚すらなかったんだが...
 誇張表現なしに、マジで拍子抜けするくらいにスッと、5時間も経ってたんですよ信じてください!

 寝てる間に終わるとかそんな生易しいもんじゃなかった。
 瞬きする前に終わってた。

 小五郎のおっちゃんは凄かったんやな。あんな耐えられへん。

 ...改めて自分の状況を確認しよう。

 切られた首元はテープ巻き巻きで圧迫・固定されてる。
 違和感はあれども痛みはなし。(この時は麻酔が抜けきってないのかと思ってたけど、退院までついぞ痛くなることはなかったです。お医者さんスゲー。)
 テープの間からは、傷口に繋がっているであろう管が1本出てて、中からちょっとだけ血を吸いだしてる。見る人が見れば、切られた個所の状況がダイレクトにわかるらしい。当然僕にはわからない。
 点滴は当然繋がれたままで、マンゴーみたいな色の見慣れない液体を絶えず流し込んできている。

 よかった、手術は無事に終わったんだね。

 目を覚ましたことに気づいた看護師さんが寄ってくる。
 テンプレート容態確認をスマートにこなしつつ、今後の流れについても説明してくれた。

 今後3時間は酸素吸入器をつけたまま安静にすること。
 今夜は部屋に戻らず、ここで一晩を明かすこと。
 翌日の朝食まではご飯を食べられないこと。

 ま、動こうにもそんな気力わかないし、食欲なんて微塵もないから問題ないね。

 夜眠れなくなると辛いから、持ってきてもらったスマホをいじって昼寝しないように時間をつぶす。

 それはそうと、酸素吸入器ってすごいですね。
 めっちゃ呼吸が楽になる。心なしか、外した時に息苦しく感じるレベル。

 そんな愛しの酸素吸入器と別れを告げる頃に事件は起こったのでした。


 点滴投与してると、必然お手洗いが近くなってくるわけで、この時僕の膀胱はフルチャージされていました。相撲でいえば待ったなし。

 ガラガラと点滴を従えて、未だ麻酔が抜け切らないのか重たい足取りで近くのトイレへ。
 はっけよーい、のこった!


 痛っっっっっっっっっっってぇ!!!!!!!


 尿道に刃物でも突き刺さってんじゃねーかってほどの強烈な痛みに見舞われた。変な声を出さず、己の名誉を守れた自分を褒めたい。偉い。

 おいおいおいどうなってんだよぉ!
 明日までご飯食べられないとかどうでもいいから、こっちについて忠告しておくべきだろうがよぉ!!こんなん聞いてないぞ!!!

 怒りに支配されたまま看護師さんへ、
 「イ、イヤァ、ナンカ、オショウスイシタラ、メッチャイタカッタデスネw ビックリシマシタw」
 と、遺憾の意攻撃をしかけると、
 「え、管入ってたとは聞いてないけどなぁ。血は出た?」
 血は出てないので問題ないらしい。

 この排尿痛には2~3日苦しめられることになりました。
 後日、別の看護師さんから、術中にカテーテル入ってたCOされました。
 やっぱりな、そうだと思ったんだよ。

 ハイペースで登板してくる尿意に戦々恐々しながら、夜を越すのでした。


かくもネットミームとは突然変異しやすいものである手術翌日


 寒いなー寒いなーと思っていたら、どうやら寒気だったようで、朝から体温が38度もあった。術後の熱ってやつですね。

 食欲はなかったので朝ご飯は3割くらい食べて、また横になる。
 この調子じゃ牛になる日が近そうだ。

 しばらくすると先生が来て、喉が腫れてないかの確認をしますとのこと。
 先生の手には、超小型の胃カメラみたいな物が握られておりました。

 でた、これ絶対に痛みと苦しみを伴うやつだわ。
 5秒で覚悟を決め、マスクをずらして口を開ける。

 「え、口からいれたいの?ま、まぁいいけど...」

 なんもよくないわ喉を見るていうから口開けたんじゃ鼻から入れる用のもんなら最初からそういえや。
 顎までずらしていたマスクを口元まで戻すことで異を唱える。

 結局、鼻から入れられたけど痛いもんは痛かった。
 加えて、エーだのイーだの発声するよう求められる始末。もうやめて...

 痛みに耐えたかいもあり、特に異常なし。
 なんで喉の腫れを確認する必要があるのかはイマイチわからんが、首元切るとなにか影響があるんですかね?

 またしばらくすると、今度は元の病室に戻る時間になったということで、車椅子に乗って看護師さんに運搬されました。
 ドナドナドーナドーナー。※一般男性超絶運搬。

 なんだか病室のベッドの方が寝心地がいい気がする。多分気のせいだけど。

 熱っぽさは感じないけれども、依然として体温は38度を維持。
 あー、段々と頭痛くなってきたな。怠い気もする。

 看護師さんのアドバイスに従い、痛み止めを飲んで寝ることに。
 お布団追加に水枕設置と、快適な環境を整えてもらってお休みモードへ。
 ひと眠りして、夕方には頭痛も治まった。

 当然のことながら、術前よりも術後の方が大変なのでした。


つまるところつまらない話だったという退院日と余談と


 高熱や寒気も一晩で落ち着き、以降は36.5~37度をうろちょろ。
 体調さんも通常営業になってきた感じ。

 傷口のテープ固定も日に日に規模縮小し、あわせて装着されてた拡張パーツも徐々に外れていくことに。

 まず傷口に接続されてた管が外れる。寝返りをうつ権利をゲット。

 ご飯も食べられるようになってきたので、長らくプラグインされていたアンビリカルケーブルともおさらばすることに。残念ながらS²機関はゲットできず。

 まとっていた装備全て取り外し、漢、裸一貫。
 ようやく手にした真の自由。
 やっと始まる暇つぶし生活をエンジョイする準備は完璧。
 忘れてきたswitchも、恥を忍んで親に届けてもらったもんね。

 読書とウイポの捗ること捗ること。
 さらにこうしてnoteを書く時間まであるわけです。

 とか言ってたら、書き終える前に退院することになりました()
 予定より1日退院遅れたのに、この男は何をしていたのか。
 違うんです!ボリュームがありすぎたんです!

 ともかく先生方、看護師のみなさんには大変お世話になりました。
 ありがとうございました。

 退院の2日後には抜糸も完了し、とりあえず今回の首太くなった騒動はいちおう幕引きかな。
 術部付近の麻痺とか筋肉の固くなってる具合の確認とかで、通院はまだ何回か必要だけど、それはまだ先の話。

 振り返ってみると、10月半ばに入院が延期してからというもの、首の嚢胞はますます大きくなって喉元を圧迫するもんで寝つきが悪くなったり、入院延期の原因となった体調不良には11月中ずっと付きまとわれてて、ただでさえ骨と皮だけの体から1ヶ月で体重が3キロ落ちたりと心身ともに疲弊しきっていたので、副次的にリフレッシュの期間が取れたのは良かったなと。

 いちおう体調不良の件はちゃんと事前に先生に話をして、手術には問題なしと確認してから入院しました。
 入院前の時点で、ほぼ症状は出なくなってたしね。
 先生からは冗談まじりに、落ちた分の3キロを入院期間に取り戻して帰ってもらおうかな、なんて言われてました。
 (毎食ちゃんと食べては山のように動かない生活を送っていたので、さすがに増量したかなと退院後、体重計に乗ったら一切増えてなくて笑いました。)

 そんなこんなで、首元をスッキリさせる以外にも有意義な時間でしたよといった具合です。

 さて、冒頭に書いたとおり、このnoteの目的はインプット主体の入院生活にアウトプット作業を生み出すことだったので、なんとオチはありません()
 ここまで長い文章を読ませておいて、オチが無いのは我ながら酷いことだと心が痛んでおります。正に外道、異端であります。

 とりあえず全身麻酔はそんなに恐ろしいものではなかったということだけ強調してそろそろお別れ。

 手術してくださった先生方、優しく接してくださった看護師の皆様、そして快く送り出してくれた職場の皆様に、改めて感謝申し上げましてお終いといたします。

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