日記

優しくしないでほしい、とか思うのは贅沢なわがままである。
優しくされたいと散々望んできたくせに、いざ優しくされると「私に優しくしないでほしい」と痛切に望むのである。
なぜなら、優しくされるとそのぶん生きねばならぬ。どんなに苦しくても、優しい人を裏切って死ぬことは許されぬと感じるからである。
私は優しくされたいのであるが、同時に責任を負いたくないのである。更にわがままなことに、誰かを傷つけたり苦しめたりすることも嫌なのである。しかし自分が生きていることにもどうにも納得がいかぬ。

こうした場合どうすれば良いかというと、とりあえず一人で籠ることである。
こうして文章にし、どうにか思考を整理しようと四苦八苦してみる。
どうして生きたくないのか?
どうして生きるのが苦しいのか。


それはまず、欲求がないからである。
ひとを見るに、まず自分が生きていたいという強い生存欲求があるようである。
また、願わくば成功したい、より多くの人からの承認を得たい、これが欲しい、あれが欲しい、温泉入りたい海行きたいクラブで踊り明かしたいエトセトラエトセトラとキリがないほどの「やりたいこと」を持っているように見える。
そうでなくとも、私はこの作品を愛好して一人で生きていけるとか、家庭菜園をして静かに暮らしていたいとか、とにかくなんにせよ生きるに足る理由をどこかから見つけ出してどうにか生きているように見える。

それは、その欲求があるからである。
生きるのが楽しい人と、生きるのが苦しくてもそれを上回る欲求がある人、生きるのが苦しいが自殺できない理由がありギリギリ生きている人の3種類がこの世にいる。


私は三者目である。

星が綺麗だな。コンビニも綺麗。街灯に照らされた道の白線も綺麗だし、トラックの点滅する黄色い灯りも綺麗。
温泉が好きだし山も好き。岡崎京子の作品が好きだし人の手料理もコンビニ飯も好き。
静かな1人の部屋も好きだし居酒屋の雑多な雰囲気も好き。
私に優しい人も私に厳しい人も、私に興味ない人も私に必要以上に興味ある人も好きだ。
母親も、父親も、今まで身体の関係を持った全ての人も、今まで私をいじめてきた全ての人も、今まで私に出会ってくれた全ての人が好きだ。覚えてない人も多いけど。

それで、最後に一応自分も好きだ。
我儘で不器用で沢山人に迷惑をかけ、沢山人に呆れられ、できないことが沢山あって頼りなくて死にそうでふらふらしていてつまらなくてかけてもらった労力の割に結局大したことのない目くそ鼻くそのような人間だが、
しかしそう悪い人間でもないと思う。



だから、ただ単純にどうして明日も起きて一日生きねばならぬのかがわからぬ。
また、どうしてそのわからぬ毎日を今後も延々と繰り返していかねばならぬのかがわからぬ。

生きるのに理由が要らないなんて嘘である。
何も考えなくても自分が生きていることに疑問を持たずにいられる人間の論理である。
そう思えない以上、理由を付けなければ生きてなどいられない。


好きだと感じる色々な物事が、私の生存に足る理由になるほどの力を持たない。
好きなことはすぐ終わる。そしてまた苦しい時間が続くだけだ。
このような安定しない精神では、生きれば生きるほど助けようとしてくれる優しく善良な人々に迷惑をかけ、情をかけてもらったぶん期待に応えられずに傷つけ、最終的には嫌われ、離れられていく。

傷つけるのも嫌われるのも耐えきれない。だから早く私を忘れてください。

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「なぜ生きなければならないの?」と問うたとき、返ってくるのは「周囲が悲しむから」「自殺は悪だから」「別に必ずしも生きなければならないことはない」もしくは「沈黙」あたりである。
これらはどれも正解ではない。正解は、なぜ生きなければならないのなんて質問を他人にしてはならない、自分で考えろ!だ。

これは誰も教えてはくれない。強いて言うならば沈黙が最も答えに近いヒントか。
なぜ生きなければならないかなんて人によって異なるのだし、排泄物と同じくらいに他人に任せるべきでない自分の事柄だ。


さっきから「べき」だの「ならない」だの言ってて気持ち悪いな。
そんなもの知ったことか。
べき論なんか大嫌いだ。


本当に「べき」だと思うことはひとつだけ、私の人生指針である信念だけ、
誰のことも嫌わない、好きでいる、それだけである。


これを失ったら私は本当に生きている意味を失うと思う。
何が何でも好きでいてやる。どんなに自分勝手な相手でもどんなに暴力的な相手でも、避けることはあれどぶつかることはあれど憎まず嫌わずに生きたい。


そのためにこのように苦しんでいるのだとしたら、周囲の優しい人をも巻き込んで付き合わせ苦しめているのだとしたら、こんな信念はただの我儘でしかない。それでもこれだけは大切にしたく、これを失ったらもう何もなく、ああああ、色々考えていたら吐きそうだ。



もう文章がめちゃくちゃ。
纏まりがなく、内容も酷い。
推敲もされておらず書いてから上げるまでに熟慮もしていない。明日読み直したら後悔と羞恥でいっぱいになるに違いない。



けれども、今この瞬間の感情として嘘じゃないことだけは確かで、一応ここにとっておいてみようかなと思う。

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