ライムスター宇多丸「ラップ史」入門を読む①【1973年~1980年代前半】
◇ラップには誕生日がある。
1973年8月11日ニューヨーク・ウェストブロンクス・モーリスハイツ地区セジウィック通り520番地の公営団地
生みの親 クールハークというジャマイカからの移民
ブレイクビーツの発明 同じレコードを2枚用意して盛り上がるところだけかけ続ければ踊り続けられるんじゃない?というのがきっかけ。
ヒップホップは社会批判でも何でもなく、パーティで盛り上がりたいというマインド
◇歴史的大事件 1977年ニューヨーク大停電でDJ増える
停電でなぜDJが増えたのか?
機材を盗んだから!!!!この世代から多くのヒップホップスターが生まれることになる。
◇1979年 ラップが金になる
あくまで主役はパーティで作品や曲という雰囲気はない。でも、シルビア・ロビンソンというおばさんが「ラップが流行っているらしいじゃない。誰かラップできる子いないの?」というテンションで適当に3人集めた。ピザ屋の宅配人とかそこら辺を歩いている人、歌ってるところを「俺もできるぜ」と寄ってきた人など。
そうしてできたグループがシュガーヒルギャングングで「rappers delight」という曲。これが本当にクール。いま聴いてもぜんぜん古くない。
この曲がヒットして「売れるやん」ということになってカーティス・ブロウ「the breaks」ではじめてのメジャーレーベルでの曲を出した。
◇オールドスクール時代と呼ばれる1980年代前半
パーティを盛り上げるためのジャンルとして定着していく。当時はギャンギスタラップというよりも「ゲットーの現地レポート」という感じ。
代表曲はグランドマスターフラッシュ&フューリアスファイブ「the message」 ヒップホップの仕掛け人のおばちゃんがシリアスでメッセージ性のある曲をつくれとイヤイヤ作らされた曲が伝説になる
アフリカバンバータ「planet rock」 通称808(ヤオヤ)とよばれるドラムマシーンを使い始めたことで有名。また、DJブースではすべてのジャンルを開放するということをしめす先見性もあった。
◆ヒップホップはメッセージ性が強く、うまく韻を踏めるというのが頭にあったがもとは「パーティをもりあげるためのもの」であったとは。ということはジブラ的な音楽だけがヒップホップなのではなくリップスライムも十分本流ヒップホップなのかもしれないな。
オールドスクールと呼ばれる1980年代前半の映画に「フラッシュダンス」というのがある。登場するブレイクダンサーのスニーカーがカッコ良すぎ。大事に大事にキレイキレイに履くのじゃなく、「使い倒す」ことこそスニーカーやなと。プレミアや値段にとらわれないスニーカーのはきこなしをしたい。
ヒップホップ初期の音楽を聴くことで、何が源流かよくわかる。ベース音、ドラム、2枚のディスク。ライムスターが武道館で「もっとヒップホップの基本を見せないとな」とMCしたことも。
最近はシュガーヒルギャングのヘビロテで一日がはじまる。
彼らのようなスピード感でリズムに乗り、軽快に体を動かし生活したい。
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