こころの科学増刊号 『心理臨床と政治』を読んで

 こころの科学増刊号『心理臨床と政治』を読みました。といっても、東畑開人さんの序論「心と政治―「善く生きること」についての二つのまなざし」と、信田さよ子さん×東畑開人さんの対談「心理臨床にとって政治とは何か」の章だけですが。簡単な感想を書いておきたいと思います。

 東畑さんの序論は、政治からみた心理臨床の歴史が4つの時代に定義されていました。学会の分裂、ロジャーズ、河合隼雄さんの仕事、ケアの元年となる1995年、下山晴彦さんの仕事、行政への対応、公認心理師、暴力と心理臨床、などの重要な論点をコンパクトにまとめてあり、歴史の概観図として便利な文章だと言えそうです。東畑さんは、こころを大切にすると同時に、心理臨床の市場に対しても関心を向けているように感じます。もしくは、そのバランスをとりたいと考えているのではと思います。また、「心」と「社会」の捉え方は、さまざな切り取り方があり、学派や分野の違いによる難しさであり、対談にもつながる、こころをどのように定義するか(こころを定義しない心理支援のし方も含めて)という議論に触れているように思います。

 信田さよ子さんと東畑開人さんの対談は、二人の政治の定義の違いから始まり、穏やかなやりとりの中にも緊張感があって読み応えがありました。少し驚きだったのは、信田さんが『ドゥルーズの21世紀』のなかにある國分浩一郎さんの「類似的他者―ドゥルーズ的想像力と自閉症の問題」をだして当事者研究を語っていたことです。この辺りから、現場の最前線に立ってきた信田さんの歴史に対する見方が垣間見えます。反対に、東畑さんは、哲学史なども踏まえたさまざまな定義を出しながら、こころの臨床の大切さを語っています。

 私の記憶では、信田さんは現場で感じたことを、男女参画センターなどでの公演や著作の出版など、社会的な活動をしてきた方です。また、どちらからといえば、臨床心理士というより、認定カウンセラーの方のロビー活動されていたはずです。おそらく、出だしの信田さんの言及は、この辺りのことも含意しているように思います。対談では、学会の分裂の話題で、お金のことに触れていましたが、並列する話題として雇用の問題にも触れて欲しかったなと思いました。

 個人的には、ケースワークやグループワークにも理解がある信田さんの、こころを定義しない支援の立場になります。信田さんは、家族療法にも、的確な肯定的批判を述べており、その課題も政治性(力の不均等をどう捉えるのか)を家族療法にどのように採り入れるかでした。それもあって、信田さんの指摘は肯くところが多かったです。


 一方、東畑さんのこころの定義を大切にする立場には、私自身が哲学史や神学について調べる中で、東畑さんが多くの文献から社会に開かれた心理臨床をどのように再定義するかに取り組んでいると知ってからは、東畑さんの活動にも肯くところが多くなりました(國分功一郎さんが自著であげられるスピノザの二重性と、東畑さんの語る心理臨床の心と政治、あるいは心と社会、という問題は重なるところがあります)。どちらの立場に立つというより、自分ならこの心理臨床と政治という問題をどう捉えて、どう行動するのか問われているような対談ではと、個人的には思いました。専門家でなくても、こころのケアに関心のある方は読んでみることをお勧めします。





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