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あきこと章三

くるしくない
独りがいやだと
云うあきこ

七月三十日
深夜差し出したあきこの手を握る。うっとりと見つめ眠られんだけだよ
大丈夫行きない
僕は言葉に甘えて(このときなぜ「いや❗️今夜はあきこの天秤の方が重く傾いている」側を離れるのはよそう)とならないのか。
あきこのもとをはなれ
夜警に出かけてしまった

七月三十一日
朝になって帰ると
皆に囲まれまんざらでも無さげ
どぉしたのお母さん

けさがた、起き上がるちからが
無くなったようだ
飲み物しか要らない
あれだけ食べるのが好きな母がもう食べないという

八月一日
母の隣で和室で添い寝。

母も起きてるしTVはもういいだろう。
深夜古い唱歌の歌本を戸棚の奥に見つけそれを開いて
大声で文体の歌詞を歌う。
あやふやだが歌える不思議

あかとんぼ
青葉しげれる
ましろき富士のね
だんだん難しい

あきこは大声で
正しい節まわしで
僕の間違いを訂正する
深夜の二人のデュエット
楽しいね哀しいね
大粒の涙が母の頬を伝う
ありがとうありがとね
お母さんはほんとに歌好き

八月二日
起き上がれないから
ダブルモォタの介護ベッド
入れてもらった
なんとか食べて欲しいから
でも母は食べないと決めている
僕には旅に出る覚悟を決めているようにおもえる

母さんに行ってくるねと言ってまたしても昼からの受付業務にむかった。因果な仕事を恨む。

夕刻になり熱が出て、救急搬送の手配をすすめた

夜、全身の力がすうっとぬけてゆくように眼を瞑り
最後に中空を遠望するような瞳で、ある限りの力で、右手を高く翳しひかりを眺めた。
それが母あきこ、この世の別れ。二十一時四十八分

このとき僕は間に合わなかったが、姉と息子が看取ってくれた様子を語ってくれたから書き残す。

身内自慢はいけないが、あきこは、この家に嫁ぎ七十五年間わが家の振子の重心、あるいはこの集落の文鎮に例えたいような女性ではなかっただろうか。朴訥と農事をひとりでこなし常に沈着冷静、でしゃばるを嫌いそれでも面白く酒好きで、なかなかにお洒落。心にはいつも正道をもっていた。僕は佳き母に巡り会えたものだ。

医師の見立は心不全

あきこ往年の習作


僕は読めないから下記の歌ではないのかもしれないが
安置の床間に母の習作を掛けました。法掛軸なんぞ掛けません。

なでしこの透きとほりたる紅(くれなゐ)が日の照る庭にみえて悲しも  『立房』1947年・昭和22年
佐藤佐太郎

#佐藤佐太郎
#大場章三
#瑠璃山常光寺

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